わたし。とは何か
「わたし」とは、何か。
「わたし」は体を持っている。
手足を動かして、行動する。
でも「わたし」は体だけでできているのではない。
「わたし」は、心(脳でも)を持っている。
何か考え事をしたり、学んだりする。
でも「わたし」は心(脳)だけでできているのではない。
嬉しかったり、感動したり、怒ったり、悲しんだりする。
でも「わたし」は感情だけでできているのではない。
「わたし」とは何か?
今自分のことを「わたし」と思っている根拠は何か。
10年前も、今も。同じ「わたし」という感覚。
でもその「わたし」は10年前と同じではない。
「わたしは、森田尚子である」
「わたしは、ヨーガの先生である」
「わたしは、犬が好きである」
「わたしは、日本人である」
・・・・
これは、全て「わたし」を構成しているものであるけど、
これらのものは「わたし」そのものではない。
森田尚子という日本人は私以外にもいるし、
森田尚子でヨーガの先生も私以外にいる。
限定されてはくるが、「わたし」そのものにはなり得ない。
明日、ヨーガの先生をやめるかもしれないし、
犬に興味がなくなるかもしれない。
でも、「わたし」という感覚は変わらずあるだろう。
今「わたし」と思っている感覚は、
主に「記憶」から成り立っている。
記憶は、経験の後に残るもので、
何かを経験したら、全てを「わたし」の中に留めておく。
一度記憶したものは、一生「わたし」の中に残る。(忘れるのは引き出し方がわからなくなるだけ)
子供の頃は、周りにいる大人の言葉や行動に影響を受け、
そこから自分で行動して、行動の結果、結果に対して感じたことなどを、
一つ残らず記憶し、
何度も繰り返されるものは、いちいち意識しなくても良いように自動化され、
強く感情を動かされたもの(快・不快にかかわらず)は、その人の「常識」や「思い込み」となって、視覚(五感全て)を歪ませる色眼鏡になる。
その積み重ねがアイデンティティとなり、
「わたし」ができあがる。
「わたし」は常に変化する不安定で不確実なものである。
明日の「わたし」はどうなっているかわからない。不安が生まれる。
昨日と同じ「わたし」であるよう、外側をコントロールする。恐怖が生まれる。
その変化する「わたし」が苦しみを生む。
ヨーガでは、その記憶から出来上がった「わたし」から自分を切り離し、
自分の本質(魂のようなもの)がアイデンティティ「わたし」になることを目指す。
ヨーガを実践すると「わたし」が、どんどん変化していく。
自動化された望まない結果を生むパターンが止まり、色眼鏡が外れ、
同じ「わたし」のはずなのに、同じ世界に生きているはずなのに、
全てが変わる。
つながる出発地点「わたし」が変われば、
「世界」は変わり、
つながり方も変わる。
今、過去の経験からくる「記憶」で構成されている「わたし」と、
その「わたし」を通してみる世界を、
一度疑ってみる。
それは真実でもなんでもないことが、
ヨーガの実践とともに理解できるようになる。
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