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感覚的な理解と言語化。

タイトル、なんか急に固くなりましたが。

この前こんな本を読んだ。
水野敬也さんは、あの「夢を叶えるゾウ」などを書いた作家さん。
今回は本の感想というよりもこの本を読んだところからつらつらと脱線していった話。

本の内容としてはコミュニケーションの中での「笑いを取ること」を科学して追求したようなもの。
普段の日常会話に笑いをとりいれることで、要求を聞き入れてもらったり、良好な人間関係を築いたり、自分の欲望を叶えるというのが基本方針の本。

正直な感想としては当たり前のことが書いてあるな、というもの。
例えば、「目上の人にタメ口を使ったらウケる」とか「自分で自分にツッコミを入れたらウケる」とか。
そんなこと感覚的にわかっている人が多いのではないだろうか?

でもここでふと思った。
「感覚的に」わかっていることをこうやって「言語化する」ってめっちゃ凄くないか、ということに。
読んで「当たり前だな」って感じるけど、読む前は自分で笑いをこんな風に説明することは出来ていなかった。
これって、感覚的には理解していたけど言語化は出来ていなかったものなのではないかなと。

同じようなことを仕事の面でも最近感じていた。
最近自分の中でホットな考えが「感覚」と「言語化」という話。
社会人が2年目に入り、異動はなく去年と同じミッションを追うことになった。
同じ仕事が2周目に入って、後輩もできた。
その中で先人として後輩たちに言語化して教えようという段になって、この感覚と言語化の壁にぶち当たっている。

たとえば、人事として会社説明会をしている時に、「なんで自分は会社説明会ができるんだろう」ということを考える機会はほとんど(まったく)ない。
でも後輩に教えようと思ったらそうはいかない。
どうやったら会社説明会ができるのかということを要素分解してそのそれぞれについて必要なことを示していかないといけない。

会社説明会=自社に対しての知識がある × それを魅力的に語るプレゼンテーション
と分解して
「じゃあ自社に対しての知識があるってなんだろう」と考えていく。
自社に対しての知識=自社の採用市場における位置づけ(競合・採用市場) × 自社のビジネスの理解 × …
とそこからさらに分解していく。そうしたら具体的に何をしていかないといけないのか、その各々での自分と後輩の差分が見えてくる。

こういったことを慣れてくると感覚的にやってしまうと思うのだけど、実はこれを言語化して誰がやってもいい仕事にしていくのが本当の仕事なのではないかなと。
そうしないと、「自分だけが(感覚的に)できる」仕事がどんどん増えていって、(それは個人的には気持ちいいことなのかもしれないが、)全体最適で見た時にチームでは成果が出せないということが起こってしまうのではないか。

先日プロリクルーターカンファレンス2018に参加してそこで採用学で有名な服部先生のお話を聞いてきた。
そこでお話されていた話で印象的だったのが以下のオランダのサッカーの話。

オランダのサッカークラブをリサーチした。
オランダチームは資金力がまったくないがサッカーが強い。なんでかと言うのを調査していたらフットボールインテリジェンスという考え方がある。
オランダでは小さい頃から具体的な場面で自分がなんで成功したのかとかを全部言語化するような育成をされているのだ。
例えば、「 今のシュートはなんでナイスシュートか?」ということを小学校のサッカーでコーチが聞く。
その小学生の答えに対して、「いやいや、俺がナイスシュートって行ったのは、そういう意味じゃなくて…」と訂正して、成功した理由を正確に言語化していく。こうやって自分の成功や失敗を言語化していくトレーニングを受けている。

なるほど、まさにこれだな。
普段から自分の成功・失敗を言語化していくというのはすごく大事だなと。
この学び自体も「なんだ、当たり前ではないか」と思うかもしれないのだけども。


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