皆で前を目指したい

みんなで前を目指したい〜「成長」について考えてみた〜

みんな成長に疲弊している。 最近そんな気がしてきた。

みんなが成長することを目指しているけど、誰も掴みきれていない。
新卒採用で出会う学生さんの多くも口にする。
しかし、噛み砕いて聞いていくと、その定義は人によって違う。
見えないものを、求めようとして、疲弊していく。

取り組んでいる物事が上達すること、今までできなかったことができるようになること、能力があがること、成果を出せるようになること、新しい観点を取り入れること、出世をすること。
成長の定義を考えると、パッと思いつくだけでもこれだけある。
しかし、「これが成長だ!」と自信を持って言い切れるような画一的な定義には、なかなか出会えない。

成長するとは何か?を自分の言葉で定義せよ

成長の定義、について考えるときに僕がいつも思いだすのが以下の記事。

私は研修で「成長するとは何か?を自分の言葉で定義せよ」という演習を行っている。具体的には、各自にこれまでの仕事のなかで「いちばん成長できた経験」をあげてもらい、グループで共有する。そして、そうした自他のさまざまな経験エピソードを踏まえたうえで、「成長すること」の本質は何かを抽出し言語化する作業を行う。
「成長」についての本質を自分の言葉で腹に据えさせることで、日々の苦しかったり、つまらなかったりする仕事のなかにも、自分を成長させてくれる要素というものが何かしら発見できるはずだという意識を育むのがこの演習の狙いである。

成長するとは何か?を自分の言葉で定義せよ。
この記事でも書かれているように「成長」には人それぞれの定義があり、その本質を自分で理解していることに意味があると思う。

僕が「成長」について考え始めたのは

僕自身、「成長」に対しての自分なりの定義を持てていない時間が長かった。
他の人に勝とう、誰よりも目立とう。昔から自我も強く、そういった利己的な思いが前面に出ていた時期もあった。
振り返ると、よくわからないままに成長を求めていた。

そんな僕の目を覚ました一言がある。

成長とは上を目指すことではない。前を目指すことだ。

コウノドリというドラマで誰かが言っていた言葉。この言葉を聞いてハッとした。
ああ、僕は上を目指そうとしていたのだなあ、と。

なぜか皆、上を目指そうとする

成長、という言葉にはどこか「上を目指す」という色が含まれている気がする。
要因の一つは偏差値教育があると思う。
他の人よりもいい点数を取って、いい大学に入ることが目標。
みんなが同じルールの中で上を目指す世界。そこで頑張って認められた経験があるので、「上を目指す」ことが成長だと刷り込まれていく。

だからこそ、この言葉が衝撃だった。
本当の成長は「前を目指すこと」なのだと。
確かに、社会に出れば全員が目指すべきゴールや、全員を画一的に測る指標は少なくなる。
みんな、それぞれのゴールを設定して、そこを目指していく。
自分のゴールに近づくこと=前に進むこと。
それが成長なんじゃないかな、そう思う。
競わなくたって、良いじゃない。

就活でも、働き始めてからも。成長に迷うとき、人は上を見ている気がする。
上を目指すのをやめて、みんなで前を目指したいなあ。

#私の仕事

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