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”第一印象のイメージ”は、仮説と言えるのか?

「この子は、優しい心をもっている。”お母さん子”だな。」

採用面接の履歴書に付いた写真を見て、社長が言ったセリフです。

私の勤める会社の社長は、顔を見れば一瞬でその人がどんな人かわかるみたいです。

「そんなわけ」と思う反面、42年という長い間、最前線で営業マンをやったきた人間がどうしてそのように判断するのか、気になるところです。

もしかして、社長は”仮説”思考を実践しているのではないかと、仮説してみました

第一印象=勝手な想像?

履歴書の写真を見て、一方的に判断することは、『勝手な想像』ではないかと思います。

勝手な想像である以上、それを”仮説”と呼ぶのは危険です。

それを認めると、例えば、出会ったばかりの人が突然1億円くれるとか、好きな芸能人に道でばったり会えるとか、何でもありになってしまいます。

これを”仮説”と呼んでいいわけないのです。

仮説とは、足して100になるもの

私の尊敬する森岡毅さんは、【USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?】で仮説について説明しています。(森岡毅さんとは、USJをV字回復させたスーパーマーケターです)

”足して100になる仮説を立てて検証する。”

”『子連れの集客が下がっているのか。女性の集客が下がっているのか。』という仮設では100にならない。”

”『子連れの集客が下がっているのか。それ以外の集客が下がっているのか。』という仮説の立て方が100になる仮説である。”

あくまでマーケティングにおける仮説とは言え、仮説を立てるにはプロセスが必要です。

もし、社長の第一印象が”仮説”であるならば、『優しい子なのか、そうでないのか。お母さん子なのか、そうでないのか。』ということになります。

そもそも、こんな内容を仮説する意味があるのでしょうか。

仮説する意味とは

『仮説のない行動』と『仮説のある行動』を比べてみます。

仮説のない行動は、行き当たりばったりで行動すること。行き当たりばったりの行動からは、何も生まれません。ゆえに、時間と労力をかけてゴールを目指すことになります。

反対に、仮説のある行動は、何か想定通りではない出来事が発生したときに、何故これが起きたのかと検証することになります。

これにより、スピーディかつ集中して精度の良い行動を生み出し、現実と仮説との差があればあるほど、大きな学びへと繋がるのです。

まとめ

今回、”社長の第一印象のイメージは仮説なのか?”という仮説についての結果としては、『仮説のハードルをさげる』という意味では、「いいかも」と言えます。

そもそも、『仮説』とは、(問いに対する)仮の答え/ストーリーです。目的に対して、どのような答えが想定できるかを、あらかじめ自分の中に設定しておく必要があるのです。

つまり、社長が「優しくて、お母さん子」と言う仮説に対して、何かしらの答えがあれば、それとの差を認識して、大きな学びを得ます

このような”仮説→現実”のサイクルから、社長はどんどん記憶を定着させていくのではないかと思います。名前をフルネームで覚えているのも、干支や生まれを覚えているのも、納得できます。

ありがとうございます!