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23-02.私は一度死んでいる

何気なく出会ったとあるnoteの記事を読んで、目頭が熱くなる。
思い出した・・私にもこんなことあった。

いま思えば、親からは才能を否定され、学校では才能を妬まれたって感じで。

とあるnote

今回のnoteは「共感力が高すぎるゆえに他人軸を生きることになった」
わたしの学生時代の話を赤裸々に綴りたいと思います。


幼少期から人と違った

物心ついた時から、私は大人の顔色をうかがう子供だった。

お母さんの機嫌を取ること、
良い姉でいること、
当時住んでいた団地の中でも優しいお姉さんとして、年下の面倒を見ること。

「どうしたら褒められるか?」

そればかり考えていた。きっと大人の目から見たら、見透かされていたと思う。

ある日母からこんなことを言われる。
「ねぇ、あんたヨソの子には優しいのに、自分の妹には冷たいって他のお母さんたちに言われてるよ。なんで妹に優しくできないの?」

うろたえた。あ、バレてた。
だってお母さんもお父さんも私を褒めてくれないじゃない。
と思った。

でも言えなかった。

小学生~中学生時代

「出る杭は打たれる」という言葉がある。
私は出る杭だろうか?

勉強も、部活も、まじめにやればやるほど妬まれる。

きっと、私にも落ち度はあったのだと思う。

正しくありたかった。
自分を偽れなかった。
理不尽なことには同意できなかった。

自分の信念を曲げたくなかった。

家では、母親の機嫌を取る一方で
学校では、友達の機嫌を取らなかった。

だから、毎回ボス的女子に嫌われた。

今思えば、家では良い子のふりをして、
学校に居るときの自分が本当の自分だったのかもしれない。

わたしには、自分の世界があった。
自分の信念と正義があった。

当時は、100均のルーズリーフに自作の漫画を描くことにハマっていて
創作活動をしているときが一番楽しかった。

でもそれも、父親に見られて馬鹿にされた。
めちゃくちゃ笑われて、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

もう書くのはやめた。

高校生時代~大人へ

もちろん、高校でもいじめられた。
一人ではなかったけど、毎回ボス女子にいじめられた。

「私が間違っているんだろうか・・」

自分の信念と正義は、間違っているんだろうか。

思ってもいない悪口に同調できないし、
明日からあいつをハブろうよ!なんて要求は飲めなかった。

悪魔に魂を売ることを拒絶した。

すると翌日から標的は自分になっていた。

人を信用するのが怖くなった。
昨日まで普通に話していた子たちが、目も合わせなくなる。

大人になった私は、また人の機嫌を伺うようになった。

他人軸の末路

今だから分かることだけど、
私は幼少期から人の感情を察知することに長けていた。

だからこそ、人の機嫌を伺うことが、とても得意になった。

でも。そこで本来の自分は死んだ。

ずっと他人軸で生きて、
「あんたはいらない」
と閉じ込めていた。

だって、本来の自分でいるより、他人に合わせた方が好かれるもの。
自分を否定することで、どうしようもない程、自己肯定感が下がった。

未知との遭遇から

2019年。息子が誕生。
赤子を育てるのは大変だ。

それに加えて、完全なる他人軸の私は、不眠不休で息子に合わせた。
夫を頼ることも苦手だった。

「わたしがやらなきゃ・・」

そうこうしているうちに、心も体も限界を迎えた。

「この現状から抜け出したい・・」

1歳8か月になった息子を一時保育に預けて、本屋を訪れる。

そこで出会ったのが、
阿部広太郎さんの著書「それ、勝手な決めつけかもよ?」

この一冊から、私の人生が変わった。

この本には、解釈を通じて過去の自分を肯定できるよ。
ということが書いてある。

いつからか、他人軸で生きてきたことも
今心が壊れそうで、本屋に来たことも

物事の全部は、自分がどんな解釈をするかで意味が変わってくると
優しく背中をさすってくれた本だった。

好きな一文があります。

「『すき』『やりたい』に素直でいたい」
今の私にとって、「豊かさ」とは「すき」「やりたい」に素直でいられること。
~~~
自分の思いつくかぎりの「好き」をリストアップしてみる。
その「好き」から共通点を考えてみたり、どうして心が引かれるか考えてみたりする。そうすることで自分自身が追い求めているものが見えてくる。
「好き」はわらしべ長者のようだと思う。
一つの「好き」はチケットのようにたくさんの出会いをつくってくれる。そしたら、また次の「好き」に巡り合える。
その繰り返しで、想像もつかないところまで自分を運んでくれる。
その感覚を信じて、私は前へ前へと進んでいきます。
(内田泰歩さんより)

「それ勝手な決めつけかもよ?」236ページ_だれしもが自分自身の未来の企画者だ

これは、他人軸を歩んできた自分にとって
刺さって抜けない言葉だった。

もう本来の自分を解放するとき。
時代も環境も変わった。

これからは、自分が一緒にいたいと思える人のご縁だけを大切にしていいし、ルーズリーフに漫画を描いたっていい(笑)

正解はない。
でも答えは、自分の中にちゃんとある。

どんな風に生きたって、私の人生だから。

今日からまた、自分の人生を歩きます。
改めてこんな気持ちにさせてくれた〇〇さんのnote、ありがとう。

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