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ブックレビュー『日本思想の源流―歴代天皇を中心に―』小田村寅二郎著

小田村寅二郎さんの『日本思想の源流』を見つけたのは偶然だった。たまたま昔人からいただいた『歴代天皇の御歌』という本の共編者である同氏の名前を検索し、たまたま通販サイトで絶版本である本書を見つけ、タイトルに強く心を惹かれて中古本を購入したのである。

現在紙の本は入手困難かもしれないが、Kindle版も出ているので、当記事を読んで関心をもたれた方はぜひ確認していただきたいと思う。

本書はわれわれ日本国民がわれわれ自身のアイデンティティを再構築するうえで、非常に重要な指摘が数多く記されている。最初から最後まで大事なことばかり書かれているため、かいつまんで紹介すること自体に無理があるのだが、そこはご容赦いただき、なかでも特に私自身が深く感銘を受けた個所をいくつか紹介していきたいと思う。

まずは「はしがき」の冒頭部分から引用する。

われわれ日本人が生活しているこの日本列島は、大昔もまた今日と同じく、いや今日以上に、誰の眼にも大変美しく、なごやかな風景として映ったことであろう。
そして、そこに住みついた人びとは、この大自然に相対して、大自然を征服するのが人間の使命だなどとは夢にも考えず、むしろ逆に、そこに繰りひろげられる森羅万象の推移の妙なる調べのなかに、われとわが心を“随順”させて生きてきたようである。そうしたことから、古来、日本人の“ものの見方・考え方”の素地が形成されていって、
 “この大自然のなかに生かさせていただいている自己”
を強く認識し、あわせて天と地をはじめとして
 “そこに生命ありと感ぜられる一切の大自然の森羅万象に対し、またこの世における生きとし生けるものに対して、心底からの感謝の念”
を育んでいったものと思われる。この“心情”を度外視しては日本思想を語るわけにはいかない。
こうした“心情”は、本来その心情の持ち主の“思想”の核心をなすものであるので、本書でいう“日本思想”とは、観念的に走った思索や、机上の知的追求のなかだけに“思想”が存在するものでないことを重視し、むしろ、ある人物の心情と意志とが、ある一点に向かって統一され発露されていく際の、全心身を傾けた人間体験――しかも、その体験をそのまま率直に言いあらわした真実のコトバ――のなかに、探求しようとしたものである。

生まれたときから日本列島で暮らしていると、日本列島の自然の豊かさ美しさが当たり前に感じられ、その有難みを忘れそうになることもあるが、おそらく地球上でもかなり恵まれた地域といえるのだろう。農業技術が発達する以前から、豊かな自然の実りが人々の生活を支えてきただけでなく、世界でも稀に見る好漁場である日本列島周辺で獲れる海洋資源が、古代人の胃袋を満たしていた。「衣食足りて礼節を知る」ではないが、食生活のゆとりが心のゆとりを生み、穏やかな心で自然の恵みに感謝し、植物を育てる太陽の光に畏敬の念を抱いたとも考えられる。もちろん時には地震や台風や疫病が人々を襲うこともあったが、日頃気持ちにゆとりがある分、皆で協力して苦難を乗り越える傾向が強まったのではないだろうか。こうした自然に育まれた「心の在り方」が、多くの日本国民に遺伝情報として現代まで継承されてきたのかもしれない。

いま私は、過去の人びとの思想を、あるがままに正確にとらえるためには、その人びとの“心情に立って”同じように考えてみる必要がある、と主張した。しかし、時代も遠く離れているのに、そのようなことがいったい可能なのか、という反論も起きよう。そう言われる方々には、実はまことに好都合な文献資料が、日本には古くからたくさんのこされているのである。それは人びとが、その折々の感懐を、すなおに詠み上げた“和歌”であり、和歌のうちのとくに五・七・五・七・七の三十一文字に詠み上げた“短歌”である。

日本人がいつから「和歌(短歌)」を詠むようになったのかわからないが、『古事記』に記された須佐之男命の「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を」という和歌が、三十一文字の起源であるとされている。西暦でいう八世紀後半に『万葉集』という大規模な歌集がつくられていることを考えれば、誰かが最初に短歌の形式を発明したのは、さらに数百年はさかのぼると考えても差し支えないと思う。私自身、和歌の勉強はまだ不十分ではあるが、『万葉集』やその解説書などを読んでいると、今の私たちとあまり変わらないような夫婦間や親子間の心のやり取りがうかがえるなど、奈良時代前後の人々の息づかいが直に感じられる歌がたくさん出てくる。真摯な心が豊かに表現されていることもあれば、仲間同士で冗談を言い合っている場面もある。千数百年前、私たちと共通した心を持った人たちが確かにこの島々に生きていて、それが三十一文字の和歌という形で現代に伝わっているのだ。これに改めて気づいたとき、私の胸は感動で震えた。その勢いで素人短歌を詠んだので、ご笑覧いただければ幸いである。

  万葉集に出会って
よろず葉を集めし書(ふみ)は時を超え敷島の道いまに伝えん

歴代の天皇がたは、国民を統治するに当たって、東洋や西洋の諸外国の君主によく見られるような、国土・国富・国民を私有物と意識するなどのことはまったくなされずに、君臣関係を親と子の心情そのままの一身同体の肉親の心情関係においてみそなわせられた、という御事や、天皇政治には「領(うしは)く」(領有する、私有する、の意)という政治姿勢が見られず、もっぱら「治(し)らす、知らす」という古語に見受けられるごとく、相手の心をありのままに知る、というところに眼目をおかれ、相手の心に応じて、順応と協調と、ときにはきびしい打擲(戦う)という方法をとられ、その場合でもひとたび相手が屈したあとは、以前からの親しい人びとに対するのとおなじように、親子の情をもってのぞまれるということであったので、国民の側でも、歴代天皇がたの国民に対するこの大御心にふかい敬慕の念をもって天皇を視(み)、日本というわれらの民族国家にとっては、かけがえのない大切なお方と考えてきたのである。

さて、本書はサブタイトルに「歴代天皇を中心に」と書かれているように、著者の天皇論に大きく紙幅を割いている。そのごく一部を紹介しておきたい。日本の天皇の統治について、「治らす・知らす」という表現が『古事記』の時代から使われている。高天原の使者であるタケミカヅチが大国主と国譲りの交渉を行った際、「汝(いまし=大国主)がうしはける葦原中國(あしはらのなかつくに=日本列島)は、我が御子(アマテラスの子)の知らす國ぞ」(『古事記』岩波文庫より)と述べている。
つまり天皇の統治はいわゆる支配者や独裁者のそれとは根本的に異なることが、神話の段階ですでにはっきりと示されていることになる。日本の歴史において支配者として振舞ったのは、古くは蘇我氏や物部氏であったり、藤原氏であったり、その後の各時代の武家であったりしたわけだが、歴代天皇に関していえば、国民の生活をよく理解し、国民の安寧を祈ることを本懐として歩んでこられたといえる。木下道雄さんの『新編 宮中見聞録』にもこれと同様の内容があったが、小田村寅二郎さんもこの点は非常に強調されていた。「日本の国柄」という場合、この議論を抜きに語ることはできないのではないだろうか。

それは一言でいえば、“歴代の天皇がたもまたわれわれ国民大衆となんの変わりもない普通の「人」であられた”ということである。ながい歴史を通じてのことであってみれば、われわれの家系においてみるのとおなじく、さまざまな御性格の方々が天皇として御登位なされるのも当然のことであるし、人間的御性情においても、われわれとおなじように種々なる欲情をはじめとして、自己一身の喜びをもとめるお心も、人並みにおもちであられたことを忘れてはならないとおもう。
しかしながら、そうした人間本来の自己的欲望を身につけておられながら、それを抑えて国のため、国民のためを、つねに優先的に考えようと努力なされたのが、天皇という方々であった、ということである。“大御心”とは、そのように自己に打ち克ち、打ち克ちつつ己れを無にしようと努力遊ばされたその御心労に対して讃えられて呼称された言葉であった、とおもうのである。

この部分を読んで、私は目が覚めるような思いがした。私自身、天皇陛下を尊敬する気持ちが非常に強いため、つい神格化して見てしまいがちな傾向がある。しかし歴代天皇もまた「人」であられたという部分を見逃してはならないと気づかされた。だからこそ我が国の歴史上、万事がうまく行ったわけではなく、各時代でさまざまな失敗があり、皇族同士で争ってしまったことさえあった。しかしそれでも、二千年の時を超えて「天皇が天皇であり続けることができた」のは、歴代の天皇おひとりおひとりが、想像を絶する努力を重ねられたからに違いない。その証拠に、歴代の複数の天皇の御製(短歌)の中には、「至らない愚かな自分」を反省する歌が散見される。これはとりもなおさず、天皇陛下もまた一個の人間であり、家系が背負う歴史の重みを一身に引き受けながら、天皇としてあるべき生き方を求めて歩まれた証拠ではないだろうか。
同書には、第九十八代長慶天皇の次の御製が紹介されている。

  寄煙述懐
高き屋に煙をのぞむいにしへにたちもおよばぬ身をなげきつゝ

この御歌は、『新古今和歌集』に収録されている次の御歌が下敷きになっていると考えられる。

  貢物許されて国富めるを御覧じて
                        仁徳天皇御歌
高き屋に登りて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどはにぎはひにけり(新古今707)

詳しくは仁徳天皇の「民の竈(かまど)」のお話をお調べいただきたいが、簡単にいえば、仁徳天皇が国を見渡したとき、人々の家から炊事の煙が上がっていないことに気づき、それから何年間も税の取り立てを禁止された。宮殿の屋根に穴が開こうが、装束がボロボロになろうが、朝廷では節約に節約を重ねて過ごしたのだ。その結果国民の生活はうるおい、再び天皇が高いところから見渡したとき、家々から炊事の煙が上がっていたため、これを見て天皇は大いに満足された。その後、善政に感謝した国民は自ら進んで天皇の宮殿の修繕に従事したのである。長慶天皇は、仁徳天皇と御自分とを比較して、凡夫である御自分を心から御反省され、上記のような歌を詠まれたことは、おそらく間違いないであろう。このような「大御心」を今日まで代々受け継ぎ、ひたすら努力されてきた御存在だからこそ、私たちは君主としての天皇陛下をご尊敬申し上げられるのだと思う。

さて、本書には聖徳太子の偉業についても詳しく述べられ、「十七条憲法」を解説しながら現代の「多数決原理」についても論じられている。こちらも非常に重要だと考えるが、あまりに長くなるのでここでは割愛することにしたい。日本という国の本質を理解するためにも、本書が多くの国民に読まれることを強く願っている。

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