「人を楽しませる」ことは「楽しい」につながる 〜 私がNO飲み会の世界で気づいたこと 〜
こんにちは。
私は、サラリーマンとして、主に営業・企画畑を中心に22年勤務、副業で2021年1月に起業し、新米経営者としてのキャリアを並走させています。
今日は、コロナ禍以前は、毎日の恒例行事であった「飲み会(※)」について、ハッと感じたことを書いてみます。
※プライベートでの飲み会についてです
飲み会は楽しい
友人や同僚達との他愛もない会話。毎回同じ話の繰り返しなのに何故か楽しい。
そのうち、記憶が曖昧になり、次気づいたときには布団の中。
眠たい目をこすりながら、二日酔いの状態でどうにか仕事を開始し、昨日の行動確認や会費の精算をすませる。
夕方には何となく身体も楽になってきて、飲みに行く相手をラインで物色し以降、冒頭にループ。
こんな体験に共感いただけたり、場面を想定できる方もおられるのではないでしょうか。
コロナ禍でこんな機会は激減しましたね。
おサイフには優しい世界ですが少し寂しさもあります。
楽しかったのはなぜか
ふと考えました。
同じことの繰り返しばかりなのに、コストもかかるのに、毎日何がそんなに楽しかったのだろうかと。
思い出してみました。
Aさんの面白くて軽快なトーク、Bくんの軽薄な恋愛トーク、物静かだけど、みんなの話を聞いてくれるし笑ってくれるC
一緒に飲みに行ってたみんなの楽しい会話が浮かんできました。めっちゃ楽しかったなぁ
みんなが楽しませてくれていた
気づきました。私がなぜ飲み会を楽しかったのか。
みんなが私を楽しませてくれていた。
だから楽しかったのか。
自分は人を楽しませていたか
逆に考えました。
自分は、人を楽しせることができていたかなと。
もしかしたら、偶然楽しませることができていたかもしれません。
でも、相手を楽しませる感覚は皆無でした。
自分を楽しませるのは自分
コロナ禍でワンルームで一人で飲みながら、気づきました。
You Tubeをサーフィンしたり本を読んだりしながら、エンタメを活用して自分を楽しませようとしている自分に。
一人のときは、誰も自分を楽しませてくれる人はいません。自分を楽しませるの自分だけでした。
自分のためには、必死になって自分を楽しませる自分。
何だか、私が自己中過ぎて可笑しくなってきました。
人を楽しませることは楽しいにつながる
これだけ楽しくなろうとしている自分をふり返って、相手を楽しませることの重要性を感じました。
自分の事業ではまずクライアントにGIVEだ!と偉そうに言ってるくせに、周りの人にはGIVEできていなかったなと。
次の飲み会では
自分が楽しむ前に、みんなを楽しませることを考えてみようと思います。
何事もTAKEの前にまずGIVEですね。
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