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昔話 ライター修行外伝 10

ナナ、お供を連れて実家にご帰還②


 ナナの母親に会えば、ますます状況が悪くなるのは、さすがの森下にも手に取るようにわかった。できることなら、ナナだけを地獄の入り口に押しやって、逃げ帰りたい。

 しかし、こういう展開になるのは先刻ご承知(ナナひとりでは、追い返されていたと思う。確実に)だったナナは、私の左腕に自分の右腕を巻き付け、左肩にかけた大きなバックを揺すって、じいっと私の表情を観察している。

「あんた、ココで逃げるんじゃないでしょうね!」
 ナナの視線はそういいながら、私の頬に突き刺さる。世界で一番、腰がひけてるライターを自認する森下。なのに、どうしてこんな目に? だけどもう後には引けない。ナナに引きずられるようにして、シティホテルのロビーのようなゴージャスな応接セットやシャンデリアがまたたくエントランスを突っ切り、最上階のペントハウスをワンフロア占領しているナナの自宅へ上がる、地獄のエレベーターに乗ってしまった。

 天井まである大きなドアのチャイムを押すと、あわてた様子でナナのママが出てきた。
「ささ、中へ。ココは声が響きますから」
 あくまでもご近所を気にする人だ。しかし、私たちを歓迎する様子は全くない。美しくメイクされた顔には "迷惑" という言葉がべっとり張り付いているという感じ。

 大理石の玄関ホールは、私が住んでいる(ナナが居候していた)部屋より広かった。通された広~いリビングの壁一面の大きな窓からは、東京の夜景が一望できる。
『世の中には、こぉんな金持ちもいるんだなあ……』

 思わず雰囲気に飲まれ、状況違いの感心をしていると、ナナのママの冷水のような言葉が飛んできた。
「で、おいくらご用意すればよろしいのかしら?」
 は、はぁ~?

「で、おいくらご用意すればよろしいのかしら?」
 ひょんな成り行きから(正確に言えば、ナナの策略に乗せられて)、家出娘のご帰還シーンにつきあわされることになった私が、最初にナナのママから浴びせかけられたのが、この台詞だった。
『はぁ~?』
 ママの言葉の意味がさっぱりわからず、きょとんとする森下。わかんないよねえ、普通。ひょっとして、誘拐犯かなんかに間違えられたとか?

 ところがママは、私がココにやって来た目的そのものが "おいくら" 系のことだと確信していたらしい。
「ナナがお宅でごやっかいになった、と。その滞在費として、おいくらご用意したらいいかと伺っているんです。うちの主人はスポーツ選手ですから、スキャンダルは困るんですの。いくら娘のちょっとした不良行為だって、おもしろおかしく書かれたりすると、イメージダウンですから。主人はとてもプライベートについてナーバスなんです。雑誌のライターさんでしたよね。今回のことは、水に流して忘れていただくということも含めて、ご用意させていただきますわ。50、60(万ってことか?)くらい? その程度なら、明日にも口座に振り込ませていただきますが……」

 !!!??? あたしって、恐喝まがいのゴロツキライターかなんかだと、思われてるわけ?
「ちょ、ちょっと待ってください。私、お金をいただくために、今日こちらにおじゃましたわけじゃないんです。ナナさんと仲良くなって親しくさせていただいていますが、彼女が家出してうちに居続けるのはよくないと思いまして、おうちにお連れしたんです。彼女も、とても反省していて(ウソだけど)、どうしてもおうちに帰りたいといってます。お母さんが、怒ってるのではとナナさんが心配していたので、一緒に謝ってあげるよって、ついて来ただけです」

 ママも、この言葉にとりあえず表情をゆるめた。彼女は心の底から世間体や近所の評判が恐くてたまらないらしい。
『有名人の家族って、大変だなあ』
 同情しかけたのだが、ママは意外な方向に態度を変えたのだった。

「それならなおさら、困りますわ。ナナは勝手に出ていったんだし。もう何度も何度も家出したり、学校で問題を起こしたり、深夜に補導されたりで、うちはナナに振り回されっぱなしですの。トラブルの元のナナを、家に置くつもりはありませんから(きっぱり)」

 これには腰が抜けるほど驚いた。妙な誤解が解け
「それはそれは。うちの娘が、本当にご迷惑おかけしました」
 という言葉を期待していたのに、話の方向がまるで違うじゃないか。成り行き上、不良仲間の一味として、ナナと一緒にママに叱られる覚悟ではいたけれど、まさかこんな展開になるとは思ってもみなかった。

 …………なんていうんだろう。親がおしおきのつもりで、娘に厳しい態度で接しているのとは、まるで違う雰囲気なのだ。この母親は、実の娘を心底迷惑がっている。母親としての愛情のようなものはみじんも感じられない。なにしろ、家に入ってからというもの、ナナの方はちらりとも見ようとしないのだ。さっきの "おいくら?" のときも冷たい雰囲気だったけれど、娘の出戻り話になった途端、ますますクールになるママ。とりつく島もないっていうのは、このことか。

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