【ひらめき☆マンガ教室】最終課題完成稿感想【第5期】
こんにちは。森紗はるきです。
毎月読み切りマンガが投稿されていくマンガ教室、「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」の最終課題の完成稿感想記事です。
提出作品は下記のリンクから読めます。
最終講評会の模様はYouTubeで無料放送されるので、要チェック!です。
ゆるやかに、しめやかに、感想を書いていきます。
前書き
私の2022年のベストマンガです↓。
推して量るべし。
凡例
作者名『作品名』で、教室の名簿順です。(敬称略)
以下、各作品の感想です。
nonaka『またたき』
ウェルズの透明人間、どんな終わりだったっけか。
そもそもどんな感じで透明になっていったのか。自分で薬を開発して透明になっていたような気がする。だんだん体が消えているような描写もあった気が、、
タイムマシンとか宇宙人とか、見た目でわかりやすいものに比べて、透明になりたい欲求はややわかりづらい気がする。周りと馴染めなくて透明になりたい、というのは表現としてはあるが、それは実際に体を透明にしたいというわけではないたろうし。
どういう理屈で透明になっているのかも思い出せない。食べたものが一瞬見えるとかもあった気がする。だとすれば、物理的に透明になっているわけではなく、可視光線を全て透過するから透明人間になっているのか。
しかし、目でものを見る仕組みは、物体に反射した光を目でキャッチして脳で処理をするので、目が透明な状態になっていたら、それは、どうなのか。何も見えないんじゃないか。
自分の体が透明になると同時に、何も見えなくなってしまう〜っ。何も、メリットが、ない。
するとやっぱり、透明になっている、ということは物理的な現象として捉えるというより、心理的なもの、文学的な心の動きの表れとして捉えるのがよいか。
透明になっていることによって、みんなの存在がはっきりとしていない状態。自分がどう見られたいかを意識しておしゃれをしてみたり、言動をやりすぎてしまったりとか、あるが、みんな透明だったら、どうなるんだろうね。
やっぱりそこは言葉の世界かな。他人にはこう見えている、というのがない以上、自分で自分がどんな人なのかを決めていかなくてはならない。
体の使い方はこけたりすりむいたり、傷がついて直ることを繰り返すことでうまくなっていく。けれど。言葉の場合は意識しない場合はなあなあでそのままいくことの方が多い、気がする。
同じ見た目なのかがわからなくて、言葉もすれ違った時に、同じだって思えるようにする仕掛けが制服ということなのかな。
あさかたこれ太郎『さよならは夢のあとで』
線がきもちいい〜っ!
なんとかなれ〜っ!すき。
銅版画やってました。基本はエッチング。腐食させた銅板をニードルで引っかいて細い線で描くやつ。
モチーフを見ながらだったり銅板を見ながら何となく線を引いていったりしていました。
鉛筆や木炭で紙に描くものであれば、粒子を紙にのせていって馴染ませる行為なので、なんとなくのイメージでも描いていけばなんとかなるんですよね〜っ。
ニードルで細い線を描いていくと、描いた線が全部刷った際に残るので、描いたときの腕の軌跡がわかる感じになります。疲れているときのざこストローク。立体に沿わない線。ぶれる形。そして、線が重なった部分が腐食の際に潰れていく、、
作中、とくに背景の線は明確なイメージを持って描かれていてすげぇ〜ってなります。トーンワークで画面を作るよりも、やっぱり線。線が大事。
マンガにおけるトーン処理は銅版画だとアクアチントです。銅板の一定範囲を荒らすように腐食させることで、濃い薄いの諧調を作る。
なんとな〜くで濃淡を作っても、ぱっと見たときの印象がよくなるわけじゃあないんですよね。
線とベタ。紙の白とスミの黒が隣接するところに、形ははっきりと生まれます。私も白黒はっきりさせていきてぇ〜って感じでした。
銅版画、銅板のコスト高いのでローラーで遊ぶ方が楽しかったです。
大久保どんぶり『MyNameIs...』
宇宙、宇宙か、、
宇宙よりも深海の方が、遠い場所。ってなる程度かな〜っ。
低学年の時に石を集めていたことはあるが、なんか宇宙的な欲望を抱いていたような気はする。
写真や映像よりも、はっきりとその元になる現象や物体がわかるのが石だったので。
化石とか、宝石とかもね。
だからといって、それらの宇宙的なサムシングを通して宇宙への何かを持ち続けることはなかった。
それはやっぱり、環境なんだろうね。
自分よりもはるかに遠い場所のものだと、それに関心を持つとか、強く願っていないとできないし。カケラだけあっても、大元のイメージがぼんやりしていたらそこに向かう道筋は立たないし。
金があったら、やっぱ私もロケット飛ばして~って、なるのかな
俗人ちん『思春期煩悩ボウズ』
ぼっボウズ!?ですか!??
スキンヘッドやんけ〜っ。
髪の毛、切りに行くたびに、伸びるの早いですね〜って言われます。グレた山本貴光さんみたいな美容師の人に。
頭皮ってはだの延長なので日焼けしたり吹き出物ができたりするので、きれいなスキンヘッドにできるの、才能なんですよね。
ふつうにバリカンで一枚刈りとか、剃刀で剃ってもすぐ伸びてふうつに坊主頭になるし。
坊主頭、とか坊主、という呼び方もなんかなじめてはいません。
丸刈りやないか。
丸っと刈っているから丸刈りやんか。
なぜそこで職業坊主が出てくる。一番プレーンな髪型だからそれを坊主と呼ぶと、人類みな職業が坊主の状態から始まったことになってしまう。
ならないか。
ただ、だからといって丸刈りって呼んでも伝わらないので、坊主って呼んじゃうんだ、な~っ
降原『眼差し』
瓶牛乳だ〜!
こだわり系のパン屋でもあんま見ないか?
給食でも紙パックの牛乳ではあった。
家で定期購入?していてらくれんの瓶牛乳は毎週家に届いていました。2Lだかのでかいやつ。飲み終わったら回収されるタイプ。
紙パックのものと味を比べたことはないですが、瓶というだけで、手に持つ際に気をつけるので優しさが身につきました。
フタの栓のところだけ、紙とやわらかいプラスチックか何かのカバーがあるんですよね。
開けてから時間が経つと、紙の栓はふにゃふにゃになってくる。そうしたら注いだりふたしめたりする際に手に牛乳がついてにおうので、できるだけ早めに飲むという焦燥感が生まれる。
手軽に手に入るもの、扱えるものよりも、ちょっと手に余るものに向き合っている方が力加減のコントロールができるようになる感じ。
中に入った牛乳の味は変わらなくても、外側の重さが変わると受け取り方も変わります。
子供が持つには手に余るし重いから、やっぱ紙パックなのかな。
はねむら『極貧女子と見習い女神さま』
ギャンブルにとくに縁がないので、フィクションでしかギャンブルを知らない。
生きるって、賭けみたいなもんよっていうあれもあるけど、環境と機会と投資と賜物なので、違うわね。
身の回りの賭け事的なもの、、
ソシャゲのガチャとか?
しかし、そんなにやらないからな〜っ
金を出して当たるかどうかわからない状態のリスクに突っ込むよりも、高い金を出して良いものを買った方が心の高揚感が上がる、感じ。
金は何かを交換するためのものなので、基本はモノがあるといいよね。記憶や体験にしても、思い出すためには物体が必要だし。
やらなくなったソシャゲはホーム画面に眠っているが、着なくなった服や読んでいない高い本は、部屋に眠っている。
生きるのに狂っている人の気持ちがわかっていない、というだけではある、ということ。
葉野 赤『春に書く手紙』
手紙、か〜っ
インターンというか、職場体験に行ったところの感謝状として書いた、っきりな気がする。
こどもの城のやつ。
めちゃ定形文だったから、あれは狭義の方の手紙ではないわね。
手で字を書く、というのはずっとやってはいる。誰かに見せるものでもないし、自分でも読めないものになるから脳を動かすためのものになるけれども。
何もしていない状態で考えたり、アイデアの組み立てってできなかったりするから、講義録みたいものも、とりあえず手を動かすことで脳を加速させる効果にいく。
自分以外のものと触れ合うことで自分を知る、という点でいうと、書いたものはすでに自分から離れているか、突き放してみれるしね。みたところで謎のざこ文字があるだけではあるが。
その点で文房具もすき。書くことと内容とな間に変数というか、不確実性を絡ませることができるので。万年筆とかね。ペン先は自分の思い通りにならないし、インクもたまにドバる。
ままならない思いとコントロールできない動作の、揺れ動き、な、感じ。
かわじろう『下戸のソウルフード』
下戸。ソウルフード。
なじみがない言葉だ〜っ。
残業で煮えた頭に仕事が終わったことを示すのが酒で、食べ物はそれを補佐する役割な感じ。
とくにローカルなものとか、県民ショー的な愛着もないので、ソウルフードとかも、ないか〜。
最近の朝ごはんはオートミールです。
お椀にわさび茶漬けの素を入れて、オートミールとお湯を注ぐ。睡眠が足りない頭にお湯と塩気が少しばかりのエネルギーを与えます。
水のように飲める、とか。日本酒でありますが、水はそもそも体に必要なのでね。おいしいですよ。
ずっと私はカフェインを脳に注ぎ込むためにホットコーヒーを1日六杯とか飲んでいました。が、必要なのは、水だったんですね〜。味がついている方が飲みやすさは上がりますが、大事なのは水分。水。そしてお湯。
ラーメンも、お湯です。
だから、おいしい。
泉ころろん『グッドコミュニケーション』
罵倒っていいですよね。
フィクションだと。
現実だと、攻撃を受けると頭沸騰するか反撃の用意をするかでいっぱいになっちゃいますしね。
自分が相手より腕力あればよいですが、たいていの場合は相手の方が筋力と役職が上で、パワーも強いので勝てない、、
安心・安全に言葉攻めを体験できる。
そう、マンガならね。
qjin『天職』
人間って美味しいんですかね?
食べたことがないのでわからないのですが。
ず〜っと長い時間をかけて開発されてきた牛や豚などの畜産物でも、品種とかで味に差が出ますよね。
先輩、健康な生活をしていたんだろうか。体液とかだと食事の影響が強く出ますが、同じように肉質にも食生活が関わってくるのか。
コオロギとかの昆虫食だと食べているものがはっきり味に出てくる、らしい。あまり食べたことがないのでこれもわからない、、
東京喰種で人間食べている描写ありましたが、年齢と男女差で、脂肪と筋肉のバランスで味が変わるって感じだったような。ふつうに生きている人が人を食べたら、美味しいとかではなく血の味、ひたすら鉄の味しかしないのかな。
有識者ではないのでそれもまた、わからない。
資産と不労所得が欲しいという欲望だけは、わかる。
滑川王手『さしずめあかなめ』
あかなめって京極夏彦さんの小説で出てましたっけ。
鉄鼠の檻とかいい感じだったな〜って記憶はありますが、出ていている妖怪については記憶が曖昧。
お風呂の掃除、ずっとスポンジとかの手で持つやつを使ってましたが、無印の長いブラシを買いました。伸縮式で伸びるやつ。
洗うときに屈まなくてもよいので腰が楽です。
今どきの洗剤は擦らずにきれいになる系もありますが、擦った方がすぐにきれいになる感があるので擦っちゃいますね。
化学系の洗剤がない昔ならともかく、今のお風呂だと垢の行方はどうなっているんだろうか。
口内炎できるぐらいだから、やっぱ過酷な労働なんだろうな。
いとしろ たかや『きみを想う』
壁の薄いところに住むことが多いので、壁ドンは身近です。意図しない方ではありますが。
音自体はそんなに届かないですが、振動は割と届くんですよね。踏み切りの電車の音もあまり聞こえないけれど、通った時の振動は聞こえるし。
住宅の壁は、柱が入っているところ以外は石膏ボード仕上げで割ともろいので、壁ドンするときはやさしさをもって行うことが大切ですね。
谷なすび『そのパンツ僕にください』
パンツの味って甘いんですかね?
有識者の方にご意見伺いたいです。
たにかわ つかさ『シュークリームとブラックコーヒー』
コーヒー、もはや味とかではなく飲みます。
カフェインが入っているかもしれないという幻想が重要です。カフェインレスのものでも役割を果たすので。
そもそも鼻が詰まり気味なので、味を感じられてるいないのかもしれない。
信じられるのは熱さだけ。そして、飲んだという事実。
ブラックなものを飲むことで、ブラックなものに立ち向かうことができる。
そんな感じ。
つりばし わたる『デレないネコにさわりたい』
隣の家が犬を飼っていた。
ふだん庭先に小屋でもあるのか姿が見えないけれど、たまにこちらを見つけて、玄関をでてすぐの私に吠えてくる。
フェンスというか木々の仕切りがあるからこちらには直接やってこれないのだけれど、ばうばう吠えながら仕切りに体当たりするのは恐ろしかった。
私の体が小さかった頃は、犬との体格の差がそんなになくて、直接やり合ったら負けることがはっきりしていた。なので、こちらに向かうそぶりや警戒をされるとざこであることを感じるようだった。
成長とともに、隣の犬のことを気にしなくなった。それは私の体が大きくなって、勝ちの可能性を見出したからかもしれない。いや、それ以上に、行動範囲が広がることで、自分の家以外のところも自分の領域だとわかるようになったからだろう。
少ししかない自分のなわばりを、わかるように示していたのが犬だったのだ。
今は、隣に犬がいない環境である。
だが、踏み切りの上てスウハアと息を大きくしてストレッチするおじいさんはいる。
心配になるのでやめていただきたい。
千住ちはる『オレが娘で娘がオレで』
赤子、泣いているのを聞くたびに、のどすげ〜ってなります。
私は大きな声を出すとすぐにのどがっさがさになってしまうので。酒飲みすぎてもそうなりますが。
ボイトレとかでもそうですが、筋肉の柔軟性は小さい頃の方がぐにゃんぐにゃんで、体を動かさないでいるとどんどん硬くなっていくようですね。
意識して大きな声を出そうとすると、のどに負担をかけているのですぐにやられてしまう。
自然体が一番!すごい、って、こと。
よこうただ『つれづれ日暮しパスタ』
パスタ、おいしいよね。
塩入れた方がぷりっと仕上がるけど、いまうち、塩ないから。
わさび茶漬けの素を振りかけるんだ。おいしいね。
晃てるお『気まぐれおやじの超能力』
Airdrop、便利ですよね。
Apple間でファイルのやり取りが簡単にできる。
ただ、有線だったらケーブルつないで全く認識しないとかあまりないんですが、Airdropだとたまに全く認識しなくて困ります。
少しテキスト込みのファイルとか画像を送りたいだけなのに、メールとか他の共有ネットワーク使ってやんなきゃ行けなかったりする。
やっぱ、実際につなぐのが信頼性高いですね。
吉田屋敷『荒川さん家の家族写真』
ダ、ダブルピースをしている〜っ!!(1ページめ)
これだけで100点です。すばらしい。
モノローグ2つに斜めに挟まれ、ツヤが加えられた髪がダブルピースを大きく目立たせています。
p2,3でも母親のダブルピースは健在〜っ。
天に高くあげられた4本の指はとてもハッピーです。
p5,7,8にも画面上に残るダブルピース……いい。
自宅前での家族写真の合成ですが、違う場面で撮られた写真の合成はとても難しいですね。人物はとくに……。
色温度やトリミングをしての単純な画像補正であればほぼワンタッチでできますが、違う場所・環境で撮られた写真だと難しい。
通常、カメラや写真を意識せずに撮られた写真は、光の露出が暗く、ピントはぼけ、水平垂直があまり意識されない写真が多いです。
画面の配置上、ひざまで欲しいっ!てなっても、スナップ写真として撮っていると、全身きっちりとか、必要なパーツが全て画面上に収まっているとは限りません。
ほんの少し肩を足すとか、服のしわを補正するだけであれば簡単だけれども……。
ダブルピース。
それは二つのピース。平和。
映画監督の大林宣彦さんの話で、ピースの由来は、アメリカが日本に原爆を落としたことで平和になったということを示すサイン、ビクトリーのVのサインだと聞きました。
原爆一つを単ピース、片手でのピースだとすれば、二つのダブルピースはつまり、ファットマンとリトルボーイ。
これらに含まれるのは、莫大なエネルギーと忘れてはならない過去。
すなわち、ダブルピースは、あふれるエネルギーと過去の記憶をつなぐサイン。
合成された母親のダブルピースで始まり、指を立てた手で終わる。
これはダブルピースのサインが物語を駆動させるエンジンとして思いっきり吹かしていき、家族の間をつなぐ象徴となっています。
やっぱり、ダブルピースはすばらしい。
おわりに
って、コト。