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あなたの幸せは、どこから?

「雄大これ! メリークリスマス!」

大学3年生の冬、彼女と過ごす2回目のクリスマス。
プレゼントを差し出し、とびきりの笑顔で彼女が僕を見つめている。

「絶対喜ぶと思うから、開けて開けて!」

丁寧に包装された包みを持ち出し、早く開けてよと期待交じりの目が訴える。
輝く瞳は、まるで彼女の方が喜んでいるかのようだった。

「え~!? 何? めっちゃ気になる!」

サプライズで高揚した気持ちを抑えられず、子供のように包みに手を伸ばす。

いやね。読んでなかったといえば嘘になるんだ。
いつもより大きいバッグ持ってるし、そわそわしてるし。
でも、やっぱりこの瞬間を目の前にすると、読みなんてどっかに飛んで行ってしまう。

シュルシュル……。

リボンを恐る恐る外すと、ボルドー色のマフラーが姿を現した。

「まじで? これって……」
僕は驚きで目を丸くするばかりだった。

彼女が嬉しそうに微笑む。

「これ、前に雄大が欲しそうに見てたでしょ? 絶対欲しいんだろうなって思ってたの! 喜んでくれるかな?」

なんていい子なんだと泣きそうになった。というか、もはや泣いた。
マフラーは僕の宝物になり、その年のクリスマスも最高の思い出になった。

一つの贈り物が時を彩り、気持ちを伝え、人を幸せにする。
プレゼントには不思議な魔力があるんだと学生ながらに思った。
あの時ほどのプレゼントには、もう出会っていないほどだ。


あれから約4年が経ち、僕は社会人3年目になった。
彼女とは別れてしまったが、時間がたった今も、思い出として僕の中に色濃く残っている。

街はすっかりクリスマスシーズン。
一人寒空の中歩いていると、街のお店に色々な商品が並んでいる。
でも、どれもやっぱり普通のものだ。

あのマフラーだって、元々は店に並ぶ普通の商品だったんだよな。


なぜこれほどに、あのプレゼントは僕を幸せにしてくれたのだろう。
彼女の気持ち? 欲しいものだったから?

言葉で説明するとなると、難しいことに気づく。
交際当時は高揚感で一杯で考えてなかったが、少し俯瞰して考えてみたいと思った。

「プレゼント。幸せ。かぁ……」

街の街灯が、僕の記憶にスポットを当てていく。
店の前で立ち止まり、少し考えこんだ。


実際、深堀りして考えてみると、色々なことが見えてくる。
まずは単純な理由から見てみた。

「うーん。こんなところかな?」


一つは、「自分の欲しいものを考えてくれていた」という点だ。
普段の行動から僕の気持ちを考え、予測し、行動に移してくれた。
こういった「自分のことを考えてくれている」ということが、途方もない喜びを生むのではないかと思った。

また純粋に「モノによる魅力」もあると思う。
所有欲を満たすという点で、モノをもらえるというのはそれだけで嬉しいものだ。
欲しいものに近ければ近いほど、その喜びは純増するのではないか。

次に考えられるのは、場所とタイミングが良かったこと。
きれいなホテル。クリスマスというシチュエーションも相まって、最高の雰囲気が出来上がっていたのは間違いない。


「気持ち」「モノ」「雰囲気」

こういった、プレゼントをするうえで誰もが気を付けるであろうポイントが、絶対値として受け取る側の満足度を上げていることは確実だと言えそうだ。
これらのポイントを押さえておけば、失敗からは遠くなるのではないかと思う。

しかし、おそらくそれだけではない。

何より大きいと思ったのは、「僕の幸せを感じる基準」に合ったプレゼントを、彼女がしてくれたからではないかということだった。


実はこれまでの経験から、プレゼントに対する価値観は、人によって3パターンに分かれるのではないかと個人的に思っている。


まず初めに「感情重視タイプ」。
どれだけ相手が自分を思ってくれているか。どれだけの気持ちと時間をかけてくれたかということに幸せの重点を置く。モノそのものではなく、送る側の感情を重視する。

次に「合理性重視タイプ」。
自分の欲しいモノやサービスを、どれだけ時間やお金をかけずに手に入れられるかを重視する。欲しいものをもらえれば幸福だし、異なれば幸福度は上がらない。どのような形で贈られるかには、特段強いこだわりはない。

最後に、「慣習や贈り物を重視しないタイプ」。
カップルでいえば、記念日やイベントを重視しないという人がこれにあたる。プレゼントという概念が薄く、どちらかというと日常のささいな幸せに喜びを感じる。


一つプレゼントに対してでも、こんなにも受け止め方が違ってくることがあると感じている。
このように思うのも、実は僕が実際にプレゼントで失敗したり、自分ががっかりしたりした経験が多かったからだ。
特に苦労したのは両親で、全く価値観が違う2人だった。


あぁ、思い出すと身が縮みそうだ。母が烈火のごとく怒っている。

「こんなの嬉しいと思ったの!? ホントお父さんそっくりよね!」

母親は根っからの感情重視タイプで、どちらかというとモノや金銭を嫌う。
誕生日を忘れようものなら、たちまち怒り、しまいには落胆するほどだ。
母の欲しいものをとりあえず買って渡したり、忘れていて取って付けたプレゼントをしようものなら、目に見えるようにがっかりされてしまう。
お店を予約したり、丁寧にラッピングをしたり、手紙を読んだりという行為が、母の心に幸せを吹き込んでいく。


「そんなこというてもなぁ。こっちは悪気なんてないんや。」
陽気な関西人の父の顔が浮かぶ。

逆に父親はというと、根っからの合理性重視タイプ。
僕の誕生日には欲しいものを聞いてきて、それを買えるだけの現金を振り込んでくれる。
父の誕生日に手紙や、手作りのものをプレゼントしても、無理して喜んでくれているのが分かってしまうくらいだ。
美味しい居酒屋で酒を飲みながら、高級ブランドのボールペンを贈ったときが一番喜んでくれていた。
悪気は全くなく、「モノ・サービス・お金」が幸福のツボなのだ。

ここまではうん。よくわかったぞ。
けれども、当時の彼女の顔も浮かんでくる。


「お祝いの盛大さが気持ちを表すわけじゃないと思うから。しかも、日常の中にも幸せは見つけられるっていうか……。お金が無くなるのは不安だけどね。」

彼女はというと難しくて、「感情・合理性・贈り物を重視しない」の混合タイプだった。
基本的にお金等の実利は好きなのだけど、繊細で感情豊か。
あくまで感情は一定に保ちたく、ほのぼのした日常が好き。贈り物はそこまで重視しない。

人によっては、それぞれの特徴が混ざることもありそうだ。


そして、僕はというと「感情重視タイプ」だった。
どこか母親譲りで、モノだけの贈り物は幸福が持続しない。
相手の気持ちを感じられたときに、最高に幸せを感じることが多かった。


彼女と僕の価値観は違った。実際に、プレゼントをめぐっても何度かすれ違いがあった。

「まじで? せめてこれは取ってほしかったなぁ」
「そんなどうでもいいようなものだった?」
冷静な口調で伝えようとしたが、どうしても残念な気持ちと怒りが湧いてきてしまう。

記念日に当日日付のレシートの入った贈り物を渡され、僕が怒ってしまった。
彼女にとっては、どれだけ時間をかけたのかは重要でなかったのだが、僕にとっては手抜きで気持ちがないのだと思ってしまったのだ。

まぁかわいいミスだと今なら思えるのだが、自分の価値観に固執してしまっていた時は許すことができなかった。

また、別の記念日に僕だけがアルバムを作ってきたとき、彼女が「私も作ってきたんだけど、家に忘れちゃった! ごめん今度渡すね!」と言ってくれたこともあった。
彼女は恐らく作ってきていなく、僕にがっかりさせないよう嘘をついてくれたのだと思っている。僕より数倍大人だった。
後日には、とても素敵なアルバムを渡してくれた。


こういった紆余曲折あり、迎えたクリスマス。
彼女は自分の価値観を変えてでも、僕のために「気持ち」と「時間」と「モノ」を使ったプレゼントをしてくれた。
それが僕の幸せの基準とバッチリ重なり、号泣するほどの感動を生んだのだ。彼女が自分のために。という背景も、さらに大きな幸福感を生むには十分すぎるものだった。

「この人はこのタイプなんだよね!」という事前の認識がないと、自分の価値観に固執してしまいすれ違いが多くなる。
自分本位のプレゼントをしてしまい、相手を困らせたり、喧嘩の元になったりする。

それぞれ異なる「幸せの感じ方」が存在するということを知っているのは大切だ。


「なるほどなぁ……」
立ち止まっていた店から人が出てきて、僕は我に返る。
いつもこのことを忘れずにいられたらいいのに。そう思わざるは得なかった。

「まぁ意外と難しいよな」

そう。特段プレゼントやお祝いの場においては、それを忘れずにいるのが難しいと感じている。

「期待するから辛くなる」
「気張りすぎると失敗する」

カップルがクリスマスに別れてしまったり、結婚式に新郎がフラッシュモブを仕掛け、それに新婦が怒ってケンカになったりする。よく聞く話だ。
どちらも気持ちのすれ違いが原因かと思うが、その理由はいろいろあると思う。

贈る側は喜ばせようと必死になるし、受け取る側は期待し、自分の望むものが来るのだと思い込む。自分の価値観が優勢になり、相手のことを忘れる。
そこですれ違い不満が爆発。素敵な時間が台無しになってしまう。

逆に全く期待していなければ、同性の友達が誕生日にお菓子をくれるだけで嬉しかったりする。期待の力というのは絶大に大きい。

大きな気持ちが動く瞬間だけに、トラブルが起きる可能性もあるということを知らなけらばいけない。


あくまでプレゼントはその名の通り、「贈るもの」なんだ。
相手に幸せを感じてもらうためのもの。
自分が与えて満足するものではないということ。
それを忘れなければ、すれ違ったり、相手をないがしろにしてしまうこともないのだから。

これはプレゼントだけじゃなくて、何事にも共通する大事なことかもしれない。

街の灯りは一人の僕を照らし、前の店からは温かい空気が流れ込んでくる。

「贈るって、何を?」
「モノを贈るにしても、相手を思うことからだよな」

「プレゼントを贈る」ということに対して深く考えると、ここまで多くのことが見えてきた。そしてここまで自分にしてくれていた当時の彼女に対して、感謝の気持ちが沸き上がってくる。

「こんなにしてくれてたんだなぁ……」

沢山の時間と幸せをありがとう。大事なことに気づかせてくれてありがとう。
時間は戻せないけれど、何度も心の中で唱えた。

今の僕には新しい生活がある。
よし。そろそろ行こうか。


街には寒空が広がっている。
コロナの影響で、心なしか人も少ない。
もらったマフラーは、もうしていない。

気持ちが大きかったから、売るのも嫌で、身に着けているのも違う気がして手放してしまった。
でもいいんだ。モノは消えても、受け取ったものは僕に残り続ける。

大事なことを教わったから、たくさんの思いを受け取ったから。
僕の心は何倍も大きくなれたんだな。

寒くなった首元に、北風が吹きこんでくる。
でも、何だか寒くない。

これからどこへ向かおうか?
分からないけれど、どこへでも行けそうな気がした。


そろそろ、サンタが舞い降りる日がやってくる。

プレゼントは良いものだ。
何を贈るか、どう贈るのか。
気持ちをプレゼントにのせてみよう。

相手のことを心から考え抜けば、人も自分も幸せになることができる。

いつか僕も、あのマフラーのようなプレゼントを人にしてあげたい。

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