逃げてもいい、見失わなければ。
「もう、立ち向かわない」
そう決めると、一心不乱にただ逃げた。
それは今までの僕にとって、考えられないことだった。
あてなんて無かった。どうなるかもわからない。
それでもその時は、それでいいと思った。
社会人3年目になった今、当時の記憶を思い返す。
どこか油くさい厨房が、頭の中に蘇ってくる。
「すみません。辞めさせてください!」
大学1年生のころ、僕は初めて就いた飲食店のバイトを辞めた。
辞めた理由は色々だった。
高校を卒業し、始めて臨んだ働くという行為。
初めは良かったものの、ベテランに近づくにつれ上手くいかないことが増えていった。
キッチンスタッフとして入ったが、半年も経つとカウンタースタッフに登用。
次の階級へのステップアップを期待された。
カウンターには年下の女の子が多く、年下の先輩に気を遣う機会も多い。
雑談にも上手く入れず、落ち着いている時間は食器を洗ってやり過ごす。
オープンに話したかったが、まだ仕事ができないことに引け目を感じて上手く話せなかった。
あぁ、なんだか居心地が悪い。
おまけに都内のバイトに比べたら、時給も抜群に低い。
大学の友達が楽しく、時給の良い仕事で稼いでいるのを見ると馬鹿馬鹿しくなってくる。
辞めたい。
好きだった店長も代わり、店の雰囲気も悪くなった。
店長がいない時間に陰口を言うパートのママさんたち。
店の雰囲気も、仕事内容も好きになれない。
プツン……
「もうすぐ後輩が入るよ」と仕事に発破をかけられ始めたころ、頭の中で何か糸が切れたような音がした。
もう辞めてしまおう。投げ出そう。そう思った。
店長が変わって、店の人間関係が悪くなったこと。
飛び込んでくる注文に対応する日々に疲れたこと。
時給が低くて馬鹿馬鹿しくなったこと。
まだ仕事ができなく、人の輪に上手く入れないこと。
学生がバイトを辞めるにあたって考え付く、大体の理由は出てきた。
けれども、それにも増して心を動かしたのは、「逃げてみたい」という気持ちだった。
今までの人生を振り返ると、単純に逃げた経験があまりに無かったからだ。
高校までバスケットボールに取り組んでいた僕は、とにかく真面目に練習に打ち込むことが正義だと思っていた。
自分に向いてなかろうが、努力をすれば結果が出る。
そう思って努力を続けたが、結果は出なかった。
「努力だけでは報われない。勝てない。」
現実を実感し、自らの工夫不足に打ちひしがれた。
引退を迎えておぼろげに思ったのは、途中で努力を放棄し、逃げていたらどうなっただろうという疑問だった。
その疑問を確信に変えるには、バイトをやめるという決意も悪くない気がした。
「石の上にも三年だ。俺は辞めずに50年頑張ったんだ」
造船所に勤めていたじいちゃんの顔が浮かぶ。
世間の人は、口をそろえて「逃げるのは悪いこと」と言う。
辛くても継続すること、やり抜くことを日本人は価値観として教え込まれる。
色々と悩むこともあったが、今まではその価値観にのっとって忍耐を続けてきた。
続けなければいけないと思った。
けれどもある時ふと思った。「いやお前、逃げたことあんのかよ」と。
皆口をそろえて忍耐を口にするけれど、辞めた先の世界を誰が見たことがあるのだろう。
そんな無責任なことを言って、縛られるのはごめんだ。
逃げた先の世界をどうしても知りたくなって、僕は全速力で逃げた。
店長に直談判するときは、新しい駅への切符を切りに行くような、そんな思いも胸に抱えていた。
決意を固め、店長が待つ事務室に乗り込んだ。
「ですから、1月いっぱいで辞めさせていただきたいんです」
思いを行動に移すまでは早かった。
他の仕事を探す前に、店長に話をした。人不足ということもあり交渉は難航し、
店長から色々な話をされた。
「森本君、本当に辞めちゃうの? 学生のバイトってさ、将来の仕事に向けてのステップアップだと思うんだよね。せっかく1年やったんだから、続けてみようよ。」
「都内で仕事って言っても大変だよ? 通勤も時間かかるしさ。大変なことばっかりだと思うけどなぁ。」
店長にもっともらしいことを言われ、辞めないように説得される。
そんなことはわかっていることだ。それでもその時は、辞めたいという思いが勝った。
「今の仕事にやりがいを感じられないし、大学に通うことを考えたら生活とのバランスも合いませんでした。時給も850円は安いかと……。もっと時給の高いところで働きたいし、辞めさせてください」
不満な点を話した後に何問答かしたが、結局僕の「辞めたい」の一点張りで議論は終了した。物心ついてから初めて、自分の意志で物事から逃げた。
「俺、辞めたんだ。逃げられたんだ」
思ったより暗くもならず、かといって気分が晴れるわけでもない。
ただただ平穏な「無」と呼ぶにふさわしい気分が広がるだけだった。
ぽっかりと莫大な時間ができる。自由だ!
最初は余裕のある大学生活を謳歌しようとしたが、すぐにお金が無くなった。
生活をするのには、お金が必要不可欠だと痛感した。
段々と焦りも出てきて、バイトを探し始めた。
次のバイト先は、幸いにもすぐに見つかった。
こういうところは、結構運がいいらしい。
「接客やってたみたいだし、受け答えもいいね! 来週からおいで!」
やってみたかった結婚式場のサービススタッフに合格したのだ。
きらびやかな世界で、楽しい仲間にも恵まれ働くのが楽しかった。
時給も1050円と地方にしては高く、朝から晩まで働けば土日だけで月8万は稼げた。
肉体的にはきつかったが、辞めて正解だったと思った。
これが逃げた先の世界なら、全然悪くない。
「俺、まだ働けるな」
勢いに乗って、結婚式の閑散期の為にスーパーのバイトも始めた。
18時~21時の固定シフトで、時給は940円とまずまずだ。
鮮魚売り場の掃除と、夜間の値引と品出しだけでいい。
早く終わると、売り場の子とおしゃべりして時間をつぶす日もあった。
「なんだよ。全然楽勝じゃん。やっぱ無理して続けなくていいんだなぁ」
スーパーの仕事は楽で、こんな仕事でお金をもらっていいのかと思えるほどだった。
辞めたその先に、広がるものがある。
飲食店のバイトを辞めて広がった世界に、僕は心底満足していた。
逃げるという行為が、間違いではないと証明できた気がした。
はずだった。
大学2年生の夏。
一年も経つと、少しづつその気持ちが疑問に変わってきた。
辞める前に不満だった点は改善されたものの、シフトの融通が利かなくなり、どうしてもバイト中心の生活になってきてしまったのだ。
力を入れたい学業やサークル活動に自由が利かなくなってきたことに、だんだんと不満を感じるようになっていた。
癖っ毛を直したいとストレートパーマをかけたのに、そうしてみると服が似合わない。
欲しいものを手に入れたはずが、どこか理想の状態と違う。
そんな違和感を、僕は胸に感じることになった。
こんなものは、わずかな誤差だと自分に言い聞かせてやり過ごした。
しかし2年生になってサークルが本格化すると、その違和感は確信に変わることになった。
「サークルライブもあるのに、この日婚礼と被ってるじゃん……。バイト削るしかないなぁ。夕方のスーパーも、練習と兼ね合いが難しいし……」
元々サークル活動と勉強をメインに取り組みたいと思っていたのに、バイトの割合が大きくてうまく予定が組めない。
バイトのシフトに融通が利かないことが、理想の活動を阻害することになったのだ。
その間に結婚式場内で人の入れ替わりがあったりと、人間関係も変化した。閑散期に入ると仕事がなく、稼げなかった。
スーパーのバイトも部署が移動になり、決して楽ではない仕事と厳しい上司のもとで働くことになった。ミスをしてしまい、報告文をLINEで提出することも多々あった。
満足感を感じていたことが徐々にしぼんでいき、不満な点が膨らんでいく。
結婚式も最初は感動し、仕事中に泣いたりしていたが、1年もやると慣れて裏側の大変さに目が行くようになっていた。
結局バイトと学校での活動を両立させると、給与は以前と変わらないくらいの額になった。
勤務も減らしたので、どこか仕事も熟達できない。
結婚式の仕事に楽しさは感じても、自信はなかった。
飲食店のバイトを思い出し、今頃続けてたらシフトマネージャーだったかな。なんて思ったりもした。どこかあの環境が恋しい。
そう。この時初めて思ったのだ。
飲食店のバイトを「辞めないほうが良かったのではないか」と。
良い点もあったので完全ではなかったが、当初の満足感は明らかに薄まっていた。
今思うに、もう少しバランスを考えられると良かったかもしれない。
仕事を変えることには、色々な変化が伴うものだった。
良かった点
・自分がやりがいを感じられる仕事に就けた
・時給が高く、給与面で納得感をもって働けた
・人間関係に恵まれ、人とのつながりができた(途中変動あり)
・新しい世界を知れて、成長につながった
・辞めるという経験ができた
悪かった点
・シフトの融通が利かなくなり、本来力を入れたい活動に支障が出た
・バイトの掛け持ちにより、一つ一つの熟練度が低くなった。自信を持って働けなくなった。
・仕事の有無に波があり、収入が安定しなくなった。
・飲食店を継続していたら得られていたであろう、管理のスキルを手に入れる機会を逃した。
洗い出してみると、これだけの要素が出てくることに気づく。
中でも一番大きかったのは、シフトの融通が利かなくなったという点だった。
本来大学生は、勉強や将来への準備、サークル活動などが本業で、自分もそちらに力を入れたいと思っていた。
しかし、飲食店への一時の不満で、バイトと大学生活のバランスを顧みずに決断をしてしまった。その結果、満足のいく結果を手に入れることができなかった。
自分の軸になる物を定めず動いたのが、明らかな敗因だった。
「そもそも本当に大事な物ってなんだろう」
自分はわかったふりをして、わかっていなかったのかもしれない。
本業を頑張りたい
仕事のやりがいも欲しい
お金も欲しい
時間も欲しい
人間関係も欲しい
楽しそうな仕事をしている友達と比べて、沢山稼いでいる友達と比べて、
自分の幸福感を判断していなかっただろうか。
だから、全部を手に入れたいと思っていたのかもしれない。
自分を満たすための大事な物は、自分に聞かなきゃわからないのに。
「何が自分にとって一番大事か知るべき」
それを知れたのが、逃げてみて一番良かったことかもしれない。
ただ難しいのは、こと仕事になると、どうしてもお金の問題が発生してくる。
だからなおさら選択に自由が利きづらい。
きっと耐えて続けることを正義とする人は、
耐えることで自分の大切な物を守れてきた方や
大切な物は見つからずとも、耐えてお金を稼いで生活してきた方。
もしくは、仕事という金銭面の柱を失う怖さを知っている方なんだと思う。
お金とのバランスを見て続けるのも大切だけど、自分にとっての軸が見えて、今の延長線上にその未来が見えないのなら、道を変えてもいいんじゃないだろうか。
逃げてみて、そう思った。
逃げて広がった無の世界は、決して無ではなかったみたい。
真っ白に広がる世界を、ただただ進んでいく。
自分の付けたい色を塗りながら、止まったり悩んだり。それでいいんだと思う。
それだけ世界には沢山の色が満ちているから、迷っても当然だ。
少し立ち止まって、自分の塗りたい色を確かめる。そんな時間をとってみよう。
それが転職であり、人生の転機になる。
あれこれ抱え込んだって、持てる量なんて限られているから。
手放して、手に入れて前へ進んでいくんだ。
自分の幸せの器は、あとどれぐらい空いていますか?
「石の上にも三年」
見えているのに動かなければ、本当にただの石になってしまう。
そんな人生は、送りたくない。
自分にとって大切な物を持って、決して落とさない。
そうすれば次は、逃げじゃなくて飛躍できるはずだ。
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