それでも人生にイエスと言う

(フランクル『それでも人生にイエスという』より)

私の子供は、胎内で頭蓋骨が早期に癒着したために不治の病にかかったまま、1929年6月6日に生まれました。

私は当時18歳でした。
私は子供を神さまのように崇め、 かぎりなく愛しました。

母と私は、このかわいそうなおちびちゃんを助けるために、あらゆることをしました。

が、むだでした。

子供は歩くことも話すこともできませんでした。

でも私は若かったし、希望を捨てませんでした。

私は昼も夜も働きました。
ひたすら、かわいい娘に栄養食品や薬を買ってやるためでした。

そして、娘の小さなやせた手を私の首に回してやって、
『おかあさんのこと好き?ちびちゃん』
ときくと、娘は私にしっかり抱きついてほほえみ、
小さな手で不器用に私の顔をなでるのでした。

そんなとき、私はしあわせでした。

どんなにつらいことがあっても、
かぎりなく、しあわせだったのです。
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人の価値とは

愛されている人は、その人が何もしなくても、ただ、そこにいるだけで高い価値がある人間である。/フランクル

この社会は強制収容所なのか。

フランクルは、「生産性が低い」とみられたらたちどころにガス室に送られる強制収容所にいた。
「生産性が低い」人間は社会にはいらないとすると、この社会は強制収容所になってしまう。

それでも人生にイエスと言う

精神科医・心理学者ヴィクトール・エミール・フランクルの講演集『それでも人生にイエスと言う』(山田 邦男・松田 美佳訳/春秋社)


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