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動物病院での、ある日の出来事。


動物病院での、ある日の出来事。

これは、少し前の、とある1日に起こった出来事です。

* * *

15時過ぎ、午後の診療が始まってから少し経った頃、ある飼い主さんが愛犬を連れてやってきました。
愛犬は、息も絶え絶えで、いつ心肺停止状態に陥ってもおかしくない状況。

この方の愛犬は、心臓の調子が悪く、以前から通院していました。
薬を餌に混ぜて飲むことで症状を抑えていましたが、あるトラブルから餌が食べられなくなってしまったそう。最初のうちは元気に過ごしていたのですが、どんどん状態が悪化していき……病院にやってきた時には、自力での呼吸が難しいほどに弱っていました。

これまでも入退院を繰り返していました。
しかし状況はかなりシビアです。
果たして、今回はどうなることか……入院してもらったほうがいいかもしれないけれど、そのまま病院で亡くなってしまう可能性もあります。

僕は、この事実を飼い主さんに包み隠さずにお伝えし、次のように問いかけました。

「必ず回復するとは言えないし、病院でお預りしている間に亡くなってしまう可能性もありますが、本当にお預かりしていいですか?」

病院にいたら、多少は苦しみを抑えられるかもしれないけれど、飼い主さんは、最期に立ち会えなくなってしまうかもしれない。ただ、自宅で最期を看取ることを選ぶと、愛犬が苦しむことになるかもしれない。

これは、深刻な決断です。
飼い主さんは、すぐに決断できそうにない様子でした。

奇しくも、この日の病院はすごく混み合っていて、今すぐ診察・診療ができる状態ではありませんでした。
来院されたのは15時頃でしたが、しっかり診ることができるのは数時間後。

「19時頃ならば診察できそうですが、どうしますか?」と訊ねたら、飼い主さんは「待ちます」とのこと。さらに飼い主さんは「待ち時間のあいだに、家族や親戚と今後のことを相談したい」と。

結局、診療できたのは22時頃(注:この日は本当に混み合っていて、いつもこんなに遅くまで診察しているわけではありません)。
「お待たせしました」と診察室に入ってもらい、あらためて状況を整理してお伝えし「どうしますか?」と訊ねたら、飼い主さんご家族は、

「家に居たって何もできないから、少しでも元気になる可能性が高いほうに賭けたいから、入院させてもらえませんか?」

とのことで、結局、愛犬をお預かりすることになりました。

予想以上にかかってしまった待ち時間のあいだに、飼い主さんは、家族や親戚を病院に呼び、今後のことを話し合っていたそうです。

話し合いの内容が、どのようなものだったのかはわかりません。

かなりシビアな状態のなかで、入院して一縷の望みにかけるのか、それとも家族みんなで最期を瞬間を迎えるのか……どちらがいいかは、本当に悩ましいものです。

それでも、この時、飼い主さんたちご家族は「この子が死ぬかもしれない」という状況を受けとめて、しっかり考え、話し合ったうえで結論を出すことができたのではないでしょうか。

動物たちは生き物だからこそ、いつか必ず「お別れ」がやってきます。
動物たちとしっかりと向き合って、納得して結論を出す、決断するという「回数」と「重さ」は、お別れを受け容れるときの支えになるのではないかと思っています。

「飼い主」としての主体性、責任感が育たない理由

とはいえ、みんながみんな、この飼い主さんご家族のように、主体性や責任感をもって動物たちと接し、決断・行動しているわけではありません。残念ながら「飼い主としての自覚」がない方は、少なからずいらっしゃいます。

そのせいで一番困るのは「動物たち」です。

そもそも、動物病院に来ること自体が、本来は主体性や責任感をもって考えなければいけないシチュエーションです。だって、自分たちの愛犬・愛猫と、どのような時間を過ごしたいかによって、治療の方針はまるで変わってくるのですから。

だけど、もしかしたら、飼い主さんたちの主体性や責任感が育たないのは、動物病院の側にも原因があるのかもしれません。

「この子はこういう状況だから、こういう治療が必要で、だから入院です。はい、終わり」

別の動物病院で、このような診療が行われているという話を、何度か聞いたことがあります。このように、飼い主さんが考えたり、選択したりする機会がないまま診療が終わってしまっては、飼い主さんの責任感や主体性は、育ちようがないのかもしれません。

とはいえ、動物病院の院長の立場でいえば、別の動物病院がこうした診療方法をしている背景も、よくわかります。
飼い主さんと、動物病院側では、動物の病気やケガに関する「知識」「技術」に大きな差があります。「病気を治すこと」を最優先に考えた場合、動物病院側が主導して治療を進めていくほうが、お互いにとって効率的なやり方なのです。

……という事情は理解しながらも、

だけど、本当に、それだけでいいのだろうか?

と、僕は以前から考え続けていました。

動物を含めた家族として、どんな時間を過ごしたいか

現実的な話として、診察をしていると「これは獣医師が決める話ではない」と感じる場面に数多く出会います。

その最たるものが、

「動物を含めた家族として、どんな時間を過ごしたいか」

です。

「家族として、どんな過ごし方をしたいか」は、獣医師ではわかりません。
飼い主さん自身でしか、決められないことです。

冒頭でお伝えした急患のご家族だって、そうです。

シビアな状況のなかで、入院したら多少は苦しみを抑えられるかもしれないけれど、飼い主さんは最期に立ち会えなくなってしまうかもしれない。ただ、自宅で看取ることを選ぶと、愛犬が苦しむことになるかもしれない……

入院させるか、連れて帰るか——難しい状況でしたが、最終的には「家族としてどうしたいか」を考え、自分たちなりに納得した結論を出されました。

愛犬の身を案じる時間も、この話し合いの時間も、ご家族にとって、とてもシビアなものだったことでしょう。
それでも、後に振り返ると愛犬を含めた家族みんなの人生と、真正面から向き合う「かけがえのない時間」として、愛犬と過ごす時間の思い出として、刻まれるのではないでしょうか。

飼い主さんに問いかけていく

もちろん、病気やケガを「治す」ことは大切です。
だけど、僕は、それを最終的な目的だとは考えていません。僕たち、杜ノ庭どうぶつ病院が目指すのは「動物を含めた家族が、いい時間、いい関係性を築いて、豊かな時間を過ごすこと」

だからこそ、飼い主さんが「自分たちがどうしたいか」を主体的に考えていく時間をつくっていきたいと思って、飼い主さんに「問い」を投げ続けています。

ですので、僕が獣医師としてやっているのは

「身体のことを考えるけれど、⚫︎⚫︎したほうがいいかもしれませんが、どうしたいですか?」

などと、飼い主さんに問いかけていくことです。

深刻度は様々で、中には生命に関わる決断もあります。決してラクなことではありませんし、そもそも何が正解かは、わかりません。

それに、このやり方は、効率的なものではないかもしれません。
ですので、正直なところ、いざやろうとすると現場は結構大変です(苦笑)。

そんななかでも、飼い主さんとして動物や家族と向き合って、考えて、悩んで——「動物病院」という場を通じて、飼い主さんに、自分たち家族と向き合う時間・機会を提供したい。スタッフにも「ただ動物を治すだけではなくて、飼い主さんご家族の役に立っている、家族の生き方や人生に関わる仕事ができている」と実感できるようになってほしい

そう思いながら、結構大変ではあるものの、スタッフと一緒に、動物を含めた飼い主さんご家族と向き合う日々を過ごしています。

* * *

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

このnoteでは「動物と人間の暮らし」についての気づき、想いを綴っていきます。ぜひまたお読みいただければ幸いです。

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