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発病と病いの功名 〜ものは考えよう

昨年の夏頃から、何もしていないのに私は痩せていった。
ひと月に1~2kgという緩いペースで体重が落ち続けていた。
食べても食べても痩せてゆくのだった。

発病

これまで何度ダイエットを試みてもすぐに挫折した身としては、ちょっと夢のようだった。7ヶ月経った頃にはトータルで12kgも痩せていた。
それでも体重減少は止まりそうもない。
痩せられないという悩みが、これ以上痩せたらどうしよう…という不安に変わっていく。毎朝体重計に乗るのが怖くて、腕も脚もウエストも細くなり、鎖骨や肋骨がくっきりと浮き出てきた。

ある日トラムに乗り遅れそうになり、走り出そうとした瞬間に脚の力が抜け、私は石畳の道に転倒し片方の膝が切れ流血した。
”あれ?なんかオカシイぞ…”
この時はじめて、自分は病気かもしれないと思った。


診断と治療開始

夫も、アナタすごくヤセた…アブナイ!と言い出して、すぐに検査の予約を入れてくれた。
どこが悪いのか分からないので、まずは血液検査と内臓をエコーで診てもらい、数日後ネットから血液検査の結果を確認すると数カ所にアラートマークが付いていて、至急診察が必要とあった。
ええっ!どこがそんなに悪いんだろう?とアラート表示の項目を見ても、この国の言葉で書かれているためよく分からず、夫に見せても分からずネットで検索する始末。その後やっとFT3とFT4とTSHという甲状腺ホルモンに関する数値が異常値を示していることが分かった。
この時点で、私はすでに自分が何の病気であるかピンときていた。
なぜ分かったかというと亡くなった愛猫が同じ病気だったからだ。愛猫もどんどん痩せていったんだよな…。その当時この病気のことをかなり調べたので、症状や治療法についてもある程度は理解していた。

私は痩せはじめたのと同時に物凄く暑がりになり、それまで滅多に汗をかかない方だったのに、とつぜん大量の汗をかくようになっていたのだが、ついに自分も更年期障害のホットフラッシュの症状が…と思っていた。しかしそうではなかったのだ。

知らぬ間に私は、甲状腺機能亢進症という甲状腺の病気になっていた。

いつもは何週間後にしか診察予約の取れない公立病院も、検査結果を伝えるとさすがにすぐ予約が取れた。
医師が検査結果から今どんな状況か説明をしてくれた際に「ご家族で発病した方はいますか?」と聞かれたが、うちの家族や親戚で甲状腺の病気になった人は見当たらない。
遺伝も関係するのか後で調べてみたが、なりやすい体質というのは遺伝も一定数は関係しているようだが、現代ではまだはっきりとした原因は解明されていないそうだ。

甲状腺機能亢進症を簡単に説明すると、甲状腺ホルモンが過剰に分泌され新陳代謝が活発になり過ぎる病気で、症状としては甲状腺が腫れる、心拍数の増加、手指の震え、大量発汗、たくさん食べるのにやせる、疲れやすい、ときどき手足の力が入らなくなる、などがある。私は甲状腺の腫れはなかったが、他の症状は全てみられた。
すぐ命に関わる病気ではないが、治療をしないと心不全になる恐れがあり、骨粗鬆症にもなりやすいそうだ。

甲状腺の薬を飲み始めると、定期的に血液検査して甲状腺ホルモンの数値を見て薬の効き目を確認しながら量を調整してゆくのだが、日本だったら最初は2週間ごとなのがこの国では1ヶ月半後。
心拍数が早く手の震えも出ていたので、その薬も処方されたが、家の血圧測定器で数値を測って状態を見ながら自分で量を調整してくれと言われた。なんかユルいというか、けっこうテキトーだなぁと思った。服薬して1ヶ月もしないうちに正常値に戻ったので今はこの薬は飲んでいない。

甲状腺のエコーなんて初診から4ヶ月も経ってからやっと診てもらえた。甲状腺の腫れは見られなかった。
検査した後に医師に直接診察してもらえるのは2回に1回くらいで、他は健康福祉センターのサイトにログインして医師からの診断コメントを確認するだけ。緊急を要さない限りは診察も毎回はしてもらえないのだった。
この国は高福祉国家と言われているようだけど、公立病院は少ないし医師も選べないし、すぐに診てもらえない。
早く診てもらいたければ保険外診療の私立病院へ行くしかない。私立はむっちゃ高い!医師と話すだけで50€、検査やレントゲンなんて撮った日にゃ300€(日本円で4万円以上)は軽く超える。
医療システムは日本の方が断然良いと思う。

痩せ始めてから老眼も急速に進んだな…と思っていたら、それも病気のせいかもしれないと言われ目薬も処方されたが、ジェルと書いてあり間違いかと思ったら薬局でもジェルですねと言われ、目薬をさそうとしてもジェルなのでなかなか液が垂れてくれず、ずっと目を開けていられなくて、狙った場所にさせなくて苦労している。
目が大きくなって飛び出て見えるようなことはなく、バセドウ病ではないと言われた。甲状腺機能亢進症とバセドウ病の違いを調べたが、今ひとつよく分からない…。

筋力も落ちてしまった。この病気になるとトレーニングしても筋肉がつかないそうだ。力が弱くなってしまい、ケトルからコーヒーポットにお湯を入れる時も、片手では支えられず両手でプルプルしながら注ぐ始末。
一度転倒してからは、怖いので急に走ったりしないように、ゆっくり歩くようになった。脚が弱くなったので階段も踏み外さないように注意している。
なんだか一気にお婆さんになってしまったような感覚だ…。

しかし、そんなに自分的には悲壮感はない。

1ヶ月半に1回は血液検査して、最低でも一年は服薬を続けなければならないと言われたが、基本的に日常生活を送るのが困難なわけでも、入院が必要なわけでもないので、観念してわりと淡々と過ごしている。


病いの功名

実は痩せてよかったこともある。
おかげで今まで着られなかった服たちが久しぶりに着られるようになったのだ。
私は息子を妊娠中12kgも太ったが、この国では妊娠中毒症や糖尿病にでもならない限りとくに注意もされず、産後6kg戻したが母乳が断乳になってしまうと徐々にまた6kgリバウンドして、結局12kg増えたままで、この国に移住する時に大量に持参した服や靴はどれも身につけられず箪笥の肥やしとなり、この十数年という年月はお洒落不毛のまま虚しく過ぎていった…。
それらが今やっと日の目を見ているのだ!

久しぶりに在住日本人の友人と会う時に、私はクローゼットから掘り起こしたありったけの服をコーディネートして行った。たぶん日本ではもう時代遅れの型かもしれないけど、この国では流行とか一切関係ないのだ。
シビラのコートにミナ・ペルホネンのスカートとブラウスにアナ・スイのブーツ履いて、更にこれでもかとシビラのバッグを持って現れた私を見た友人に、会ってすぐ一言、「な、なんか今日いつもと雰囲気が違うね…お洒落…っていうか…」と言われた。
そう…今までの私は世を忍ぶ仮の姿だったの。あなたは見たことなかったでしょうけど、これが本来の私の姿なの。私は本当は服が大好きだったの。
だけどこれまでは日本から持ってきた服や靴が全部入らなくなって、全然好みじゃない息子のお下がりの、ぶかぶかのアディダスのパーカー着てエアジョーダン履いて、スケボー少年(中年)みたいな格好を仕方なくしてたんだってば…と心の中で呟く。
しかし十数年も仮の姿だったのなら、もうそっちの方が本当の姿なんだけどネ…と一人自嘲する私。
「そのコート、シビラでしょ?私も昔好きだったんだよね」と友人は言う。
私も彼女がシビラを好きだったなんて今まで知らなかった。

そもそも、この国で暮らすための服装は、防寒・防水・機能的というのが最優先事項なのだ。この国の気候の厳しさが、お洒落心を許してくれないのだ。
移住してからというもの、何かいつも股の間がスースー涼しくて落ち着かず、基本的にパンツスタイルばかりになった。
春の雪解けの泥濘んだ道で、ご近所に住むバリキャリのマダムに出くわすと、きりっとしたスーツにヴィトンのバッグでキメてるのに、足元はゴム長という姿に衝撃を受けたり、冬から春先の外出時は皆んな基本的にゴム長または、ごっついスノーブーツで出かけ、室内に入ってから履き替えるのが普通だったりする。
このように、太ってしまったせいだけでなく、この国の気候も多いに影響していたわけだけど、この春から夏にかけては何年かぶりでスカートが履けた!
以前はウエストのファスナーがどうしても閉まらなかったが、今じゃ前で閉めて後ろにグルっとまわせる程だ。

しかし服薬を開始してから、ゆっくりと、だが確実に体重が戻ってきている。
お洒落を謳歌できるのも期間限定なのか…。
如何せん病気がなければ年相応に代謝が落ちているため、自力で減らすことは至難の業なのだ。
12kg減とは言わなくても8〜10kg減くらいで留めておきたいのだが…。

ああ〜まだ、まだ戻らないで…と願う日々なのである。



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