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失われし故郷

今はもう主のいない、夫の祖母宅の居間の壁には、横幅が1メートル以上はある大きな風景画が掛かっている。
絵の中には、そこだけ立派な教会を囲むように、質素な家々が肩を並べる小さな集落が、油彩で描かれている。
北極海に臨む村は、カーブを描くフィヨルドの入り口にあり、遠くに山が連なっているのが見える。
起伏に富んだその景色は、真っ平らな土地ばかりが続くこの国の典型的な地形とは、だいぶ違っている。

おばあちゃんはロシア国境と隣り合わせだったこの村に生まれ、この国では少数派のロシア語を母語とする家族の中で育ったため、小学校(国民学校)に上がるまでロシア語しか理解できず、最初の頃学校では言葉が通じず困ったと話していた。
もしかすると彼女には、この地に昔から定住していた少数民族の血も流れていたのかもしれない。歴史を調べてみると少数民族の子供達は、この国への同化政策によりロシア語を話すことを禁じられていた。
村に住んでいたロシア人は楽しい人達だったと、おばあちゃんは言っていたけれど、私はおばあちゃんが人前でロシア語を話すのを聞いたことがないし、彼女のような人を他に知らない。

第二次世界大戦で敗戦したこの国は、ロシアと国境を接する国土の一部を割譲することになった。かくしておばあちゃんの村もロシア領となり、家族と共に故郷を追われ帰還者となった。
村からは人が消えて空っぽになったそうだ。
故郷を離れてから数十年後、一度だけおばあちゃんは村を見に行った。
かつて自分たち家族が住んでいた家には、知らないロシア人家族が暮らしていたのだと言う。
その時の悲しげに曇った彼女の目が忘れられない。


居間に飾られている風景画は、おばあちゃんの記憶を頼りに、日曜画家だった夫の父方の祖父が描いたそうだ。
おばあちゃんの気持ちを思い、慰めるために描いたのだろう。

もう二度と帰ることが出来ない故郷の村、思い出が詰まった家、郷愁。
おばあちゃんは、何を想っていたのだろう。
絵を眺める時、心は故郷に帰れただろうか。



夏休みに久しぶりに顔を合わせたおばあちゃんは、以前とはまったく顔つきが変わってしまっていた。表情がないのだ。
陽気で快活だった彼女の面影はもうない。
4年前におじいちゃんが亡くなってから、おばあちゃんは徐々に記憶をなくしていった。
一人では暮らせなくなり、今は施設に入っている。
外出許可をもらい家に戻って来たおばあちゃんは、庭に置かれたテーブルで帰省した私たち家族と一緒にお茶を飲んだ。
義母が私たちの名前を何度教えても、所在無げに椅子に座るおばあちゃんの視線は、不安げに宙をさまよっている。
孫の中で一番可愛がっていた夫の顔も判別出来ないようだ。
そして、"帰りたい…帰りたい" と言うばかりなのだ。
"帰りたいって、ここはお母さんの家よ"
義母が何度言っても、ポカンとしたままおばあちゃんはまた、
"早く帰りたい…"と呟くばかり。

おばあちゃんは、いったい何処へ帰りたいのだろう。


たとえ、おばあちゃんが全てを忘れてしまったとしても、おばあちゃんの故郷で起こった出来事を調べ、私も覚えておこうと思う。



今もウクライナで、故郷を失うかもしれない人が何百万人もいる。
彼らは無事、家に帰れるだろうか。


11年目の3月11日。
今も故郷に戻れない人は3万8千人超いるという。
自分の故郷で起こったことは、忘れようとしても忘れられるはずがないけれど、時に日常の些末な事に紛れ、遠い出来事のように思えることもある。

だけど、今日と変わらない明日が必ず来る保証など何処にもないのだということを、今もまたこの世界は突きつけて来る。

故郷で何が起こったのか、
全て忘れず、この胸に刻み続けよう。



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