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めぐり逢い

朝ときどき散歩に行く小さな島で、よく出会う老夫婦がいる。

いつも海が見渡せるベンチに並んで座り、家から持参したポットから熱い珈琲を代わる代わるカップに注いで、手さげ袋からこれまた持ってきたシナモンロールを取り出し、その間とくに話すでもなく、まさに阿吽あうんの呼吸という感じでお茶しながら、二人は黙って長いこと海を眺めている。

見かけるたびに、ああ、いい夫婦だなぁ、と思う。

私は結婚願望の薄い人間だったが、80〜90年代に流れていたチャーミーグリーンのCMに出てくる、手を繋いでスキップする仲睦まじい老夫婦には、憧れたものだ。




夫と出会った時、私はすでに40歳目前だったが、一度も結婚したいと思ったことはなかった。
それまで付き合ってきた人たちとも、恋愛の先に結婚という考えはなかった。
夫と出会う前、かなり長く付き合った人がいた。
何度か別れてはまた縒りを戻すということを繰り返していたが、結婚という話は最後まで出なかった。
私は自分の育った家庭環境の影響もあり、これ以上、親戚縁者のしがらみが増えるのは面倒だった。
たぶん自分はこのまま一生シングルだろうと思っていた。

私は未だに、なぜ自分が国際結婚して海外で暮らすことになったのか、いまひとつピンときていないところがある。
とくに海外にも、外国人男性にも興味があったわけではなかった。
好きになった人がたまたま日本人じゃなかった、というだけなのだ。

そんな私だったが、夫に出会った時なぜか、この人と家族になるだろうと直感した。

夫の生まれ故郷を訪ねた時
丘の上で夫から
「ワタシとアナタ、大きいオジーサンと小さいオバーサンにナリマス」
と、変な日本語で言われた。
夫からとくに他の言葉を聞いたことがないので、これがプロポーズだったと思うことにしている。

周りの友人知人からは、よく決断したね、と言われたが、夫の国に移住することに迷いはなかった。
むしろ、行かないという選択肢の方がなかった。
それまでの日本での生活を全てリセットする覚悟で移住し、ほんとに右も左も分からないゼロからのスタートだった。

互いに40代での結婚は、二人ともそれなりに人生経験を積んで、穏やかにスムーズにゆくかと思っていたら、全くそんなことはなく…苦笑。

あれから山あり谷あり、今だってしょっちゅう衝突するし、お互い受け入れられないところもあるし、もういっそのこと日本へ帰ってしまおうか…そう思ったことだって何度もある。

それでも私はまだこの国で暮らしている。

それは、叩きつけるように激しい雨や、逆巻く風に晒されてもビクともしない、大きな木みたいな夫に守られて、夫の支えがあってこそなのだ、ということはよく分かっている。

だけど、素直に "ありがとう" なんて、照れくさくて面と向かってはとても言えない。

仕事でストレスが溜まってくると、夫は子供みたいに丸くなり毛布に包まり、私の側に転がってくる。
だからお礼と言っては何だが、そういう時は、母親の気持ちになり、ヨシヨシと頭を撫で、背中をさすってやる。

出会って17年、夫への恋とか愛とかいうような感情は、もうとっくの昔に消えている。
今、残っているのは、愛というよりは、家族としての情だと思う。

私は夫のことを
今やすっかりオトーサンと呼んでいる。

どんなに夫と喧嘩しても憎まれ口を叩いても、見守ってもらっているという、どこかおかしな甘えと安心感がある。
血が繋がっているわけでもないのに。

それは子供の頃に貰えなかった、父親からの注目とか愛情とかを、夫から貰えている気になっているのかもしれない。
私は父のような自分本位で奔放な男性には苦手意識があり、夫は真逆なタイプだ。
こういうのは、逆ファザコンというのかもしれない。

今まで、私をこんなに甘やかしてくれたひとは、夫だけだ。

ずっと一人で生きてきたつもりだったけれど、すっかり弱っちい人間になっちまったな、と思う。

その反面、10年以上も生活を共にしながらも、このひとのこと、ほとんど何も知らないな、と今更ながら気づいて愕然としたりする。

果たして、自分の人生を、こんなにも無防備に、ひとりの人に預けてしまっていいものなのか、とも思う。

私にとって夫はどんな存在だったのか、
その答えは、人生を終える時にわかるのかもしれない。

私にはもう、日本にも何処にも帰れる場所はないのだから。
戻れる場所は
夫の居るこの家しかないと思っている。






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