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書きたいのに投稿できない

誰も見ていないと思っても、わかっていても、書き淀んでしまう。


このnoteの下書きは、数えてみたら73個もあった。
何度も書いては途中でやめ、下書き保存を押してきた結果である。


また、一度は公開をしたものの、下書きに戻した記事も10以上ある。
いや、もっとあるかもしれない。

「このニュアンスが曲がって伝わってしまったら」
「この書き方では誤解をされるのでは」
「こんな抽象的なことを言っても誰にも伝わらないかも」
「これを読んだ人から思わぬ反応があったらどうしよう」


別に誰かのために書いているわけでもないのに、なぜか足踏みしてしまう。
特に、文章を書くということには慎重だ。
大して語彙力がないので、持ち合わせている言葉の中から今の気持ちにぴったりな言葉を選ぶのに時間がかかってしまうのだろう。


Twitterも、Instagramも、載せたい写真や共有したいことは山ほどあるのに、編集画面に行くとなかなかボタンを押す手が動かない。

どうにかして本文をようやく書いたと思っても、ハッシュタグでまた悩む始末である。

ハッシュタグなんて、なんでもいいじゃん。

そう思う自分は確実にいるのに、いざつけるとなるとなんでもよくなくなるから意味がわからない。


「イタイ人にはなりたくない」
「承認欲求ではなく、備忘録として残したい」

こだわりはただそれだけのはずなのに、書いては消し、書いては消しを繰り返し、時間だけが経っていく。

そしてついには投稿することを諦め、これまた下書きに保存するか破棄する。
下書きは溜まる。
徒労感だけが残る。


結局、更新頻度のとても低いほぼ見る専用のSNSアカウントがいくつもできる。

なんとか自分の気持ちを形として書き残したい
どうにかしてこの雑然とした気持ちを、書くことで昇華させたい

そんな思いで始めたこのnoteもなかなか公開に踏み切れないことが多いので、「毎日投稿」などと言って更新頻度を上げようとしていた時期もあった。
そしてもちろん無理だった。
2日目あたりで無理だと察し、早々にその宣言はなかったことにしたが、元々誰も見ていないのでこのことは自分しか知らないはずである。

無駄なことばかりしているように見えるけれど、自分にとってはこの道しか通れないから、これが日常。

書きたいけど、書ききれない。
書いたけど、公開できない。
公開したけど、下書きに戻したい。

何がしたいんだよって思うでしょ。

書きたいんだよ。
書かないと、こんなめんどくさい人間としてやっていけないよ。

これがわたしという人間よ。
心底めんどくさいのよ。



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