森野いろ

フリーのライター。仕事では主にセールスコピーとインタビュー記事を書いています。note…

森野いろ

フリーのライター。仕事では主にセールスコピーとインタビュー記事を書いています。noteではエッセイのような物語のような、誰にも見られたくないけど表現したい胸のうちをひっそり書き残します。

最近の記事

下北沢であいたい人生

27歳の夏、15のときから付き合っていた人にフラれた。 お先真っ暗とはまさにこのことである。 これまでにだってつらく悲しいことはいろいろあったけど、今までのそれとは比じゃないレベルだった。 昔飼っていた犬が脱走し、何日も見つからなかったときも地獄だったが、それよりもひどい。そちらはのちに見つかって我が家にちゃんと帰ってくるというハッピーエンドだった。でも今回は違う。 4385日を共に過ごし結婚の約束までした人に捨てられるなんて、誰が想像しただろう。誰も想像しなかった、彼以外

    • 12年付き合っていた人にフラれた日から、夜が死ぬほど長くて怖くなった

      わたしには12年付き合っていた人にフラれた過去がある。 そのとき確かにわたしは「もう生きていけない」と思った。 確信を持って、心の底からそう思ったのに。 なぜだか今もわたしは生きている。 どうやって生き延びたのか、書いておく必要がありそうな気がする。 なぜならわたしが死にたいとしか思えなかったあの日、あの夜、こんなnoteがあったら読みたかったはずだから。 誰かわたしと同じ気持ちの人はいないかと、すがるような思いでフラフラとインターネットの光の中を彷徨っていたわたしに、

      • 書きたいのに投稿できない

        誰も見ていないと思っても、わかっていても、書き淀んでしまう。 このnoteの下書きは、数えてみたら73個もあった。 何度も書いては途中でやめ、下書き保存を押してきた結果である。 また、一度は公開をしたものの、下書きに戻した記事も10以上ある。 いや、もっとあるかもしれない。 「このニュアンスが曲がって伝わってしまったら」 「この書き方では誤解をされるのでは」 「こんな抽象的なことを言っても誰にも伝わらないかも」 「これを読んだ人から思わぬ反応があったらどうしよう」 別

        • 都会が好きだと思って生きてきた

          わたしは、自分は都会の生活が好きだと思っていた。 神奈川県横浜市で生まれ育ち、都会がすぐそこにある暮らしをしていた。 大人になってからは都内へ引っ越し、好きなお店やおしゃれなカフェがいっぱいある憧れの街で暮らした。 3分に1本電車がきて、ギュウギュウの電車に揺られ、東京タワーや六本木ヒルズを見ながら仕事をした。 人がたくさんいて賑やかで、そんな場所でないと生きられないと思っていた。 東京のあとはオーストラリアに一時的に住んでみたのだけど、やはりそれも田舎より都会という理由で

        下北沢であいたい人生

          HSPの私が、「気にしない」夫と結婚した結果

          夫と私は交際から結婚までトントン拍子だった。 交際期間は約半年。 出会ってからは数年経っていたので、周りの人はビックリしていたが本人同士に電撃婚という感覚はなかった。 結婚して新しい生活が始まると思うと楽しみで、不安な気持ちはほぼなかった。 ただひとつのことを除いては。 私はHSPで、結婚するときにはこの気質に名前があり定義づけられているとは知らなかったが、とにかく敏感で些細なことが気になるし、いろいろな意味で生きづらさを自覚していた。 夫はそれとは真逆のタイプで、「気

          HSPの私が、「気にしない」夫と結婚した結果

          HSPを知ったとき「謎は、すべて解けた」気がした

          自分がHSPだと自覚したのは約半年ほど前のことだ。 「生きづらさ」などという言葉をよく目にするようになり、気になったのがきっかけである。 自分がこれまでどのくらい生きづらいと感じてきたのかは、はかりしれない。 小学生のときには既に生きづらさを感じていたし、そこからずーーーっとこの感情と付き合い続けている。 それがある日、HSPという気質だということがわかり、スッとした。 「私、HSPだったんだ・・・!」 この感情に名前があることに安堵した。 これまでは同じような感情

          HSPを知ったとき「謎は、すべて解けた」気がした

          オザケンを知らない夫

          わたしが夫との会話の中でふと出した、オザケンという固有名詞が彼に伝わらなかったことは今でも忘れられない衝撃的な出来事だ。 「オザケンて、誰?」 返ってきた言葉に、わたしは沈黙した。 これまで身近にオザケンを知らない人がいたことがなかった。 一瞬にして色々なことが頭の中を駆け巡った。 わたしは沈黙のあと、ひとしきり驚きのリアクションタイムをとった。 そしてオザケンについて説明を試み、曲を聴かせたりもした。 「カローラIIに乗って〜」と、歌ってもみた。 がしかし、夫はやはり

          オザケンを知らない夫