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下北沢であいたい人生

27歳の夏、15のときから付き合っていた人にフラれた。

お先真っ暗とはまさにこのことである。
これまでにだってつらく悲しいことはいろいろあったけど、今までのそれとは比じゃないレベルだった。
昔飼っていた犬が脱走し、何日も見つからなかったときも地獄だったが、それよりもひどい。そちらはのちに見つかって我が家にちゃんと帰ってくるというハッピーエンドだった。でも今回は違う。
4385日を共に過ごし結婚の約束までした人に捨てられるなんて、誰が想像しただろう。誰も想像しなかった、彼以外は。
たかが失恋なんて思えない。こんな状況になって前向きに捉えられる人なんているはずがない。毎日泣いて眠れない夜を過ごして、薬をたくさん飲んで救急車に乗るのがある意味正常な反応だ。そうでしょう?
考えるなと言われても、彼のことを考えない時間は1秒もなかった。
何がいけなかったのだろう、なぜ別れなければいけないのだろう、どうしたら復縁できるだろう、これからどうやって生きていけばいいのだろう。

何日、何ヶ月、泣き続けたかわからない。
もう限界の限界を超えたと感じたある日、心の病院に行こうと予約の電話をかけると、電話口の向こうで女性が「予約可能日は最短で1ヶ月後です」と言った。

今、心がバラバラに引きちぎれそうなギリギリの状態で電話しているのに、1ヶ月後・・・?

予防接種や健康診断の予約じゃないよね?
「虫歯が痛いです」「1ヶ月後です」
「耳から血が出ました」「1ヶ月後です」
「刃物で刺されました」「1ヶ月後です」
「死にたいです」「1ヶ月後です」

なんだかすーっと冷めた感じがして、じわじわと笑いがこみ上げてくる。「予約、どうされますか?」と遠くのほうで聞こえた気がしたが、「けっこうです」と言って電話を切った。
たぶんわたしは病みきっていない。まだ黄色い線の内側にいる。
なんとか自力で立ち直れる気がした。

しかし立ち直るといっても簡単なことではない。今後彼がいない生活をするということは、これまでの生活とはまったく別の人生を送ることなのだ。
考えてもみてほしい、12年という年月は長い。干支は1周し、小学生に入った子どもが高校を卒業する。オリンピックもFIFAワールドカップも3回開催され、新卒で入社した社員はもうベテランだ。役職にもついているかもしれない。
わたしがこれから生きていくには、新しい人生を始めるしかない。生物学上死んではいないが、自分の人生上は27歳で一度目の人生を終え、生まれ変わることにするしかない。かつて彼とよく話題にしていたが、まさかわたしがジャニスになるなんて。人生とは皮肉なものだ。

人生をやり直すにも、顔も髪も服も癖も趣味も仕事も住む場所も
すべて同じのまま変われるはずがない。

ということで、生きる場所を変えることにした。

住みたい街は決まっている。

あの人の住んでいた街に住んでみたい。
同じ道を歩いてみたい。
どんな景色を見ていたか知りたい。
いつかその街で会ってみたい。

わたしは下北沢に引っ越した。


【緑のランプ】
下北沢に引っ越してから、心はほんの少しだけ落ち着きを取り戻した。
というのも、やはり新生活はやることも揃えるものも多く忙しい。忙しいということは、悲しみに浸る時間が物理的に減るということだ。
こだわりの強いタイプであるわたしは、何より部屋を自分仕様にすることに喜びを感じていた。
それまでは実家暮らしだったので、キッチンやリビングなど、自室以外の場所には干渉できずにいたが、実用品と不用品で溢れているその場所にはなんとも言えぬ「実家感」が漂っていた。
ピアノの鍵盤を押すと出てくる爪楊枝入れ、ゆかりのない景色の広がるジグソーパズル、種類の揃っていないカトラリー、どこかのお土産であろう小さな置物、何年前から使っているかわからない色あせた体ゴシゴシタオル・・・統一感もなければセンスのかけらもないそれらは、若き日の自分にとっては一種のストレスでもあった。

家電3点セットとベッドは無印で買い、小ぶりだが前面がガラス張りになったシェルフは食器棚として使用した。その中には過去に雑貨屋で働いていたときにコツコツ買い溜めていたカラフルな食器たちが並ぶ。
壁一面には低めの本棚を置き、ファッション誌のバックナンバー、漫画、小説、絵本、CD、DVDなど、大好きな作品のみのコレクションが収められた。
自分の思い通りに部屋が完成していく。

あとは、照明だけだ。
今は残置物として部屋に残された、いかにも実家感のある紐で引っ張るタイプの電気が付いている。
自分好みのインテリアの中、これだけが浮いて見えた。一刻も早くこの電気を取り外したい衝動にかられていた。

ある日の休日、おしゃれな照明を買おうと吉祥寺まで出かけた。
何軒か見て回ったうちの1軒で気に入った照明を見つけ、購入すると、店員さんから「持って帰りますか?配送にしますか?」と聞かれた。
とにかく早く照明を付け替えたかったわたしは、少しだけ悩んで「持って帰ります」と言っていた。

お会計後店員さんから渡されたダンボールは、想像の10倍重かった。
完全にやってしまったと思ったが、もう今から「やっぱり配送で」とは言えない。気まずさだけでなく、今日あの白電気とはお別れする気満々なのだ。次の休みまで待つなんてできない。
明らかに重いのに「そんなに見た目ほど重くないんですよ、これ。」という表情を作って家路についた。次の日腕が筋肉痛になる程度には重かったそれは、天井に付けるのにも一苦労だったことは言うまでもない。

設置したそれは、わたしの新しい人生の部屋にぴったりだった。
重すぎてしんどかった思い出込みでお気に入りとなり、下北沢を去った今でもわたしの部屋をやさしく照らしてくれている。


【呪いのビデオ】
フラれてから不眠症になった。何をしても眠れないので、寝ないという選択をしたこともあったが、さすがに仕事に支障をきたしてはいけないと思い、いろいろな解決策を試した。
市販薬を飲んだり、身体を温めたり、いい匂いを嗅いだり、ハーブティーを飲んだり。一通り、いい眠りにつくと言われているものには手を出してきたつもりだ。
そして行き着いたのは、くまのプーさんである。正確には「くまのプーさん完全保存版」のDVDを観ること。これによりわたしの不眠症は一気に解決した。

もともと気に入った映画のDVDは買って持っていて、その中に「くまのプーさん完全保存版」もあった。不眠症になる以前から所有していたもので、もちろん眠るために買ったのではない。
しかし大好きな作品であるにも関わらず、夜寝る前に再生すると最後まで観れたためしがないのだ。昼間上体を起こして観ていれば別だが、夜ベッドに横になると必ず朝になっている。夜寝る前にゴロゴロしながら映画を観るのが楽しいのに、この作品はいつまでたっても見終えることができない呪いのビデオと化していた。

そうしてだんだん観なくなり、このことをすっかり忘れていたのだが、不眠症に悩み出してからしばらく経ったある日、何かDVDを観ながら寝ようとコレクションを漁っていたときにふと思い出したのである。
わたしは早速その夜試すことにした。こんな呪いのビデオがあったなんて大チャンスじゃないか!とやや興奮もした。
部屋の電気を消し、ベッドに横になり、DVDを再生する。

気づくと朝になっていた。

不眠症が解消されるまで、毎晩再生した。
ありがとう、プーさん。ありがとう、呪いのビデオ。

ちなみにプーさんの他のDVDも何作品か試したが、途中でプーさんの声が変わることもあり、この完全保存版が最も効果覿面だったことも追記しておこう。
あれ以来不眠症にはなっていないが、なかなか寝付けない夜は今でもこの呪いのビデオを再生している。


【イエスウーマン】
住む場所を変えることに成功したわたしは、次に自分の行動を変えるべく、「できるだけYesと言う」ことにした。
これは好きな映画の1つである「イエスマン」からヒントを得た行動である。
ジムキャリー演じる主人公が、どんな申し出にも「Yes」と答えることで人生が好転していくストーリーで、わたしにも良い効果があるような気がしたのだ。
さすがにすべてのことを受け入れるのは難しいので、主に人からの誘いに対して「Yes」を心がけるというルールに変更させてもらった。
これまでのわたしは、飲み会には基本行かない、行っても早く帰りたい、休日は彼氏に使いたい、友達より彼氏という人間だったので、だいたいの誘いにほぼ「No」を突きつけてきた。
まずそんな自分を変える一歩として、人からの誘いは「Yes」。それだけでなく、こちらから声をかけたり、何かをやるかどうか悩んだときは、やる方を選ぶようにすることにした。

すると、
仕事後に飲みに行こうと誘われ、行く。
帰りが遅くなり、ほろ酔いだから、夜眠れる。
朝起きて、仕事に行く。仕事のあと予定が入り、人と会う。
人と会うと喋ってストレス発散になり、前世のことを思い出す時間がなくなる。
帰りが遅くなり、疲れているから夜眠れる。
こういった好循環が回り出した。

わたしはもともとひとりの時間が好きだ。人混みが苦手だし、必要以上に人に気を遣うので、大人数では会いたくない。だから毎日飲みに行ったり、毎日人と会うのは正直疲れてしまう。
その場合は、ひとり映画館、ひとり音楽ライブ、ひとりお笑いライブ、ひとり喫茶店、ひとり散歩、なんでもいい。ひとりでも必ず周りに人がいればよくて、仕事のあとや休日にはそういう予定を入れておいた。

フラれたあとの孤独な時間が何より怖い。
感傷に浸り、涙が溢れ、また生きるのがつらくなる。
ひとりぼっちにならない何かしらの予定を入れ、誘われたら行き、毎日忙しく過ごす。心から笑えなくてもいい。1分1秒でも、前世のことを思い出す時間を減らすのが重要なのだ。

イエスウーマンはちょっときつかったけど、きついぐらいがあのときのわたしには良かった。
ぴんと糸を張っていないと、いつでもすぐに前世の記憶に引きずられる脆さだったから。

自慢じゃないが、今のわたしはもうノーウーマンだ。あのときいっぱい無理したから、今は無理はしない。負荷がかかる誘いはすべて断って、ひとりの時間を健やかに過ごしている。
でも「やる」「やらない」の選択に迷ったら、「やる」を選ぶようにしている。今わたしはひとりではないし、あのとき一度死んだから、もう何も怖くない気がしている。


【傷の舐め合い】
【前世の彼と再会】
【偶然を愛する人】
【ヴィレヴァンあい】
【ダメ男と嘘】
【100人と会っても】
【結婚の虫の知らせ】


#創作大賞2024 #エッセイ部門

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