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第39話「言霊と妖し」

言葉というものは、怖いものだ。
人を励まして活かすこともできるし、呪うこともできる。

呪詛というのは、藁人形に釘ではなくて、
言葉の方が力があるのではないか?

「あなたは、晩年、とても大切な人を失い
 悲しみの日々を送ることになる」

とそれが何気無い一語であっても
呪いの言葉となり普段忘れていても、
何かの拍子にその言葉が心に浮かび、
歳をとるに従い不安に駆られるのかもしれない。

逆に、

「今から暫く大変な時期を迎えるかもしれないが、
 必ず成功して、晩年は素晴らしい人生を過ごせる」

と言われると
心に希望を持ち続けることができるようになるのだろう。

一方で、言葉は、誤解を生み易い。
同じことを言っても、
人によっては正反対に意味を取られることもある。
だから、一語一語を大切に使うことで、
言葉に重みと信が生まれる。

「約束する」を英語では、
「have my words」とも言い、
言葉なのである。

では、最近、約束が軽くなっていないかと感じることがある。
特に一対一ではなくて、
何名かのグループでの会合は、
ドタキャンを平気でする人がいる。
自分が1人ぐらい抜けても良いだろうとの
軽い気持ちがあるのだろうか?

約束が、即ち言葉が、軽くなるということは、
相手に対する心遣いが軽くなる
ということなのでもあろう。

だからこそ、
人は言葉に縛られてしまう。
責任感が強い人であれば、尚更だ。

 さて、夏である。
今と言うか、後数時間後に台風がやって来る。

既に沖縄で多大な被害をもたらした台風6号は
迷走しながらのんびりと屋久島にも
向かってきそうなのである。

しかし、夏と言えば妖し、
即ちお化けや幽霊であろう。

僕は、文楽が好きで、
苦楽園口に住んでいた時は、
よく国立文楽劇場に通った。
文楽友の会に入っていたくらいだ。

その文楽の夏の風物詩は、
子供向けの文楽で、
お化けが出て来る。

鬼に始まり、
一つ目小僧や九尾の狐、
ろくろく首は人形の首がすごく長く伸びて
大歓声である。

さて、妖しとは何であろうか?

人の頭には、お化けや幽霊が映像で
浮かんでくると思うが、
大夫の謡を聞いていると
その本質は言葉にあるように思える。
まさしく、初めに言葉ありきなのだ。
神と妖しを一緒にすると叱られそうであるが、
人の心の奥底に潜んでいるものが
言葉として出てきて、
神にも妖しにもなっているのでは無いかと思う。
即ち、妖しは、僕らの心の奥底に潜む恐れであり、
恨みであり、悲しみや悩みが
言葉として現出されたものなのであろう。

すると最初の言霊に戻ることになる。
言葉が軽くなり、
言葉に信を置けなくなってきている現代を
どう見るか?

言葉を縮約し操っている我々自身が、
世間を浮遊する幽霊の様な
まさしく妖しに他ならないのではないだろうか。


森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重


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