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第32話「一杯のコーヒーを自分だけのために」

僕がメンターをしているある人と話をして
気付かされたことがある。

頼まれると嫌とは言えない性格であり、
本来人好きなので、
何人かの方のメンターもどきをしている。

メンターと言っても、
時折連絡して来る相手の話を聞いて、
自分なりの話をするだけなのだが。

最近何度か続けて話を聞いた一人の話なのだが、
会社の問題の提起と批判が増えて、
それがほとんどになってしまった。

本人自身が
「大変だ」とか「苦しい」と言うのなら、
それを聞いても良いし、
時には「問題点をどう解決すべきか」なら、
それを聞いても良いのであるが、
ただ批判だけに留まっているのを聞くと、
「なんだかなぁ」と思ってしまって、
「売り言葉に買い言葉」ではないが、
相手に対して
「だったら解決に向けて
 自ら行動したらいいじゃん」
と言う言葉を投げつけてしまう。

「批判はする→何もしない」
では何も起こらず、
まさしくその行動自体が
会社の問題を表しているのではないかと思う。

そして、相手は慰めてくれると
思っていたのに、
強い言葉で逆に批判され、
裏切られたと思い強張った笑顔で
「ありがとう」と言いながらも
腹を立てて帰っていく。

元々、会うたびに夢を語っていた人が
何故こうなってしまったのか?
と僕は一人になって考える。

そして、はっと思い付いたことが、
会社のこと以外に話す内容がないのだ…
と言うことだ。

朝7時前に家を出て、
仕事に追われて過ごし、
夜10時過ぎに家に帰り着く。

定期的に通っているらしい
ジムのプライベートレッスン以外は、
自分のための時間がないのであろう。

僕も、宮仕えの時は忙しかった。

それでも、朝早く起きて1時間走る。
これが、自分のための時間だった。

走り始めて、最初は仕事のことを考えて整理し、
そのうちなんの本を読もうかとか、
どんな映画を見ようかとか、
週末に何をしようかなどと考えるけど、
気がつくとなにも考えてなくて、
走り終えてシャワーを浴び、
朝ごはんを食べてサッパリして会社に行く。

自分のためだけの時間。

今の生活は、はるかに余裕があり、
自分のための時間がメインで、
合間に仕事があるような生活だからこそ、
自分のための時間の大切さがわかる。

僕は、電話をかけて、
自分のための時間を
「一日に少しだけでもとってみたらどうだい」
と話をした。

お湯をコーヒー用のポットで沸かして、
お気に入りのコーヒー豆をドリップして、
自分のためだけのコーヒーを
一杯淹れてゆっくりと味わう。

もし、そこに、お気に入りのクッキーや
チョコレートが一つ添えられればなお良い。

そんな短い時間でもいい。
自分のために淹れるのだ。

すると、自分自身を愛おしくなって、
何か自分のためにやろうと
思えるようになる気がする。

ふと僕は、思い出す。

僕がベトナムにいた時代、
時折、海外からのお客さんが
ゴディバや貴重なチョコレートのアソートを
持ってきてくれた。

夜、メイさんとその箱を眺めながら、
チョコレートを一つだけ選んで、
とっておきの紅茶を淹れて、味わった。

毎日、減っていくチョコレートだからこそ、
余計に大切に思えた貴重なひと時だったと思う。

そんな話をして、僕の友人が撮った映画の話や
落語の話をしたところ、声のトーンが変わり、
「ララ・ランド」のスタッフが撮った
「Babylon」を見ようと思ってるし
休んでいたゴルフもやろうと
声が生き生きしてきた。

本人はこれから映画を観たり本を読んだり
いろんなことが話せるよう、
仕事以外にやってみると
僕に話し元気になっていった。

そうは言っても、忙しい日々の中で、
朝早く起きて走ったり、
仕事後に映画や演劇を観に行ったり
ジムに行ったりするのは
難しいかもしれない。

だからこそ、忙しい一日の中で
せめて自分のためだけに
一杯のコーヒーを淹れて、
自分の時間を
取り戻して欲しいと思うのである。

追伸:僕の大学同期の友人である本木監督が撮った
「シャイロックの子供たち」を観に行ってきた。
見入ってしまい、あっという間の時間であった。

そして、エンディングロールの一番最後に、
彼の名前がどっしりと出ているのをみて
改めて「頑張っているな」と心が温まった。
「空飛ぶタイヤ」も彼が撮っていて、
池井戸作品が続く。

素直に面白く、良ければ自分のための時間に
観に行ってもらえると嬉しいものです。



森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重

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