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第九話「故郷は、如何に」

僕にとって、故郷とは横浜なのだが、
実家は既に父の一人暮らしを心配して
売却してしまった為、もはや無い。

売却する際に、多少の寂しさはあったものの、
同じ横浜市内に住んでいた為、
それほど感傷的にはならなかった。

それが、中学の同期生が挙げていたFBを見て
とても懐かしくなってしまったのだ。

地元の駅前が凄いとの記事である。
駅前にいろいろなお店ができて、
特に美味しいお店ができて、
凄いことになっているとのことなのだ。

「へぇ、あそこが」
と思いながら、
ふと、帰る家が
無くなっていることに気付かされる。
もはや、寄るべき場所がないのだ。

すると不思議なもので、昔の記憶が蘇ってくる。
大学時代にお金がないのに
よく寄ったデミグラスベースの
ポテトグラタンが絶品だったBAR、
記憶の中では生涯で最もうまいと感じたラーメン屋
*但しこのラーメン屋は、日々味が変わり、
多分週末に仕込んだスープが
金曜日あたりになると熟成するため、
月曜日は薄く金曜日が一番美味かった。
そして、古い商店街である

同級生の中では、
親の後を継いだ人も多くいるだろうから、
「今はどうされているのだろうか?」
と思うのだが、
街が変わってきていると言うことは、
彼ら彼女らが、いやその子の代か孫の代が
街を変えているのだろう。

地域興し、地方再生と言って
外部から人が押し寄せ
都会の知見をいれて街を変えていくのも、
そこに長く住んでいる人だけでは
なかなか変えられないので
もうしょうがないのであろうが、
いつも町おこしと言う言葉に
違和感を覚えていたのは、
そこなのである。

結局、地元のひとが、
住んでいる人の発露、意識が伴わない町おこしに
何があるのだろうか?

時々、外部の発案の町おこしで人が集まった
と言うニュースを耳にするが、
本当にそれが定着したのだろうか?
一時期のブームで終わってしまうのではないか?
と疑問を呈してしまうのである。

勿論、肚をきめて都会から移住し
10年20年と住み続けながら
見守る覚悟の人も多いのだろうが。

我が故郷は、どうも変わりつつあるようだ。
それも自発的に、
地元の人達が変えていってくれるように思える。

都会から近すぎて、
外部から町おこしの専門家の歯牙にも
かからないからかも知れない。

さて、自らを振り返ってみると、
大学院の教授やコンサルタント
そしてアドバイザーも同様な余所者なのである。

仕事柄、どうしても
勝手にハンドルを握ることはできないが、
出来れば助手席に座りナビゲーターとして
ドライバーと一体となって
最後までゴールを目指したいもので、

バックシートからわぁわぁ叫ぶ批評家には
なりたくないのであるが、
それが嫌な仕事を引き受けない
理由なのであろうか?
いや、怠け者なのか?
勇気がないのか?

それとも、故郷は遠くで懐かしむぐらいが
ちょうどいいと思える歳に
なってしまったのかも知れない。


森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重

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