見出し画像

アート思考とエフェクチュエーションの関係

 番外編⑦では、デザイン思考とエフェクチュエーションの関係を取り上げた。そして、その際、議論の入り口として、デザイン思考とエフェクチュエーションに共通するのは、不確実性への対処を主眼に置いていることと、予測とは異なるアプローチを採用していることであると述べた。

 しかし、それらの2つの条件であれば、アート思考も十分に満たしている(Whitaker, 2016)。アート思考の登場も、不確実性の増大と深く関係している。また、アート思考でも予測とは異なるアプローチが採用されている。そのため、デザイン思考とエフェクチュエーションの間に何らかの関係があるのであれば、当然、アート思考とエフェクチュエーションの間にも何らかの関係があるという推測が働く。


 番外編⑦のところで見たように、Klenner, Gemser and Karpen(2021)は、デザイン思考を行動習慣と捉え、エフェクチュエーションをそのための認知原理(意思決定原理)と捉えている。また、Sarasvathy(2008)は、エフェクチュエーションを「不確実な状況における意思決定の一般理論」として捉えている。したがって、それらのことから推察されるのは「アート思考は不確実性に対処するための行動習慣であり、エフェクチュエーションはそのための認知原理である」という両者の関係である。

 実際、Klenner, el al(2021)が行ったように、エフェクチュエーションの5原則とアート思考(アーティストの思考法)との関係を、様々な二次資料を用いて整理してみると、それは以下のようになり、両者は適合しているように思われる。

 ①「手の中の鳥の原則」では、起業の出発点において所与とされるのは、達成するべき目的ではなく、手持ちの手段の集合であるとされている。そこでは、起業家個人に固有の手持ちの資源を用いて「何ができるか」が模索されるが、アート思考でも、創作の開始時は自分の興味関心を起点に、できるところから手を付けていく(増村,2021;みうら,2018)。

 ②「許容可能な損失の原則」では、起業する際には、どれくらいの利益が見込めるか(期待利益の最大化)ではなく、仮にうまく行かなかったとしても損失が許容できるか(損失の最小化)に基づいてコミットメントを行うべきとされているが、アート思考でも、保険をかけて複数のゴールを同時に視野に入れて創作活動を行ったり(Shimizu and Okada,2018)、失敗した時のために次の手を考える迂回路を準備したりするなど(横地,2020)、網目状に創作のルートが張り巡らされている。

  ③「レモネードの原則」では、一見不利なものも含む、意図せざる結果を無視したり回避したりする代わりに、梃子として積極的に活用すべきとされているが、アート思考でも同様に、偶然性を活かそうとする。そもそもアーティストはデザイナー同様、制約に対して寛容なだけでなく、むしろそれを積極的に利用しようとさえする。なぜなら、彼らも「on-going openness(常時開示性)」を有しているからである(McDonnell,2011)。

 ④「クレイジー・キルトの原則」では、起業のプロセスで自発的に参加してくれる人々とのパートナーシップを大切にせよとされているが、アーティストたちがコラボレーションやフィーチャリング(著名なミュージシャンを招いて一緒にプレイすること)、セッションなどを好むことからも分かるように、アート思考に見られる多様性の受け入れ姿勢は、様々な戦略的パートナーの意見を統合するのに役立つ(Panay and Hendrix,2021)。

 ⑤「飛行機のパイロットの原則」では、予測によって不確実性を減らす代わりに、コントロール可能な活動に集中することで、結果として望ましい状態に帰結させようとする。つまり、予測不可能な不確実性下でも、可能な行為を一歩ずつ生み出すよう努めるが、アート思考に見られる可視化は、デザイン思考同様にイノベーションの軌道を想定し、コントロールすることを可能にする(Whitaker,2016)。


 その一方で、デザイン思考とアート思考では、これまで見てきたように、志向性に大きな違いがある。前者がユーザーの抱える潜在的な不満の解消を通じて、社会に価値を提供したいと考えているのに対して、後者は自分の欲しいものや好きなものへの共感を通じて、社会に価値を提供したいと考えている。しかし、そもそもエフェクチュエーションは純粋な意思決定原理であり、上の5原則を見ても分かるように、いずれの志向性を排除するものではない。したがって、それはデザイン思考だけでなく、アート思考にも適用することができると推察される。

 それどころか適合度という点においては、狭義のデザイン思考よりも、むしろアート思考の方が高いかもしれない。なぜなら、エフェクチュエーションが語られる際には、以下に示すように、「継続」や「学び」、「学習」などの言葉が頻繁に登場し、それは意思決定原理であると同時に、学習を前提とした概念であることが窺えるからである。そして、その意味では、プロジェクトごとに自己完結する独立の問題解決プロセスである狭義のデザイン思考よりも、プロジェクトをまたぐ継続的な探索プロセス(あるいは学習プロセス)であるアート思考の方が相性は良いといえる(詳細は本編の⑮および⑯を参照)。

 「手の中の鳥の原則と許容可能な損失の原則は、起業家が失敗するリスクを受け入れた場合でも、取り組みを継続することを可能にするような意思決定の論理である。(中略)仮に最悪の事態に陥っても致命的な損失を被ることなく、学習経験を蓄積しながらチャレンジを継続することを可能にする。(中略)こうしたエフェクチュエーションのプロセスは、新たな製品や市場の創出へと収束するまで、幾度も繰り返される」(吉田,2018)。

 そして、このようにエフェクチュエーションを、学習を前提とした概念と捉えると、それは何かの問題を解決するための考え方ではなく、持続可能な事業に辿り着くまで学習が継続できるよう、スタートアップを生き長らえさせるための考え方や指針を示したものと見做すことができる。ユニクロの創業者である柳井正氏は『一勝九敗』という自叙伝を出版しているが、そこで強調されているのも、1勝に辿り着くまでの間にどのようにして倒産を回避しながら、学習を積み重ねてきたのかという点である。そのような学習を前提としたサバイバル術の心得こそ、エフェクチュエーションなのかもしれない。



●参考文献
Klenner, N. F., G. Gemser and  I. O.  Karpen. (2021), “Entrepreneurial ways of
 designing and designerly ways of entrepreneuring: Exploring the
 relationship between design thinking and effectuation theory.” Journal of
 Product Innovation Management. Advance online publication.  
 DOI:10.1111/jpim.12587.
増村岳史(2021)『東京藝大美術学部 究極の思考』クロスメディア・パブリ
 ッシング。
McDonnell, J. (2011),“Impositions of order: A comparison between design and
 fine art practices.” Design Studies, Vol.32, No.6, pp.557-572.
みうらじゅん(2018)『「ない仕事」の作り方』文春文庫。
Panay, P.A. and M. R. Hendrix. (2021), Two Beats Ahead: What Musical Minds 
 Teach Us About Innovation. Public Affairs.(大田黒奉之訳『創造思考: 起業と
 イノベーションを成功させる方法はミュージシャンに学べ』東洋経済新報 
 社、2021)
Sarasvathy, S. (2008), Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise.
 Edward Elgar Publishing. (加護野忠男監訳,高瀬進,吉田満梨訳『エフェク
 チュエーション:市場創造の実効理論』碩学社、2015)
Shimizu, D. and T. Okada. (2018), “How do creative experts practice new
 skills?  Exploratory practice in breakdancers.” Cognitive Science, Vol.42,
   No.7, pp.2364-2396.
Whitaker, A. (2016), Art Thinking: How to Carve Out Creative Space in a World
 of Schedules, Budgets and Bosses. Harper Collins. (不二淑子訳・電通京都ビ
 ジネスアクセラレーションセンター編『アートシンキング:未知の領域が生
 まれるビジネス思考術』ハーパーコリンズジャパン、2020)
柳井正(2003)『一勝九敗』新潮社。
吉田満梨(2018)「新市場創造プロセスにおける不確実性と意思決定」『マー 
 ケティング・ジャーナル』第37巻、第4号、16-32頁。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?