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デザイン思考とエフェクチュエーションの関係

 ここでは「デザイン思考と起業行動」に関して、もう少し寄り道してみたい。本編⑬~⑯でも見たように、近年、デザイン思考はアジャイル開発やリーン・スタートアップなどと共に語られることが多くなっている。また、その結果として、デザイン思考は起業やベンチャー創出のためのアプローチとして注目されるようになっており、エフェクチュエーション(effectuation)との関係についても関心が寄せられるようになっている。ここでいうエフェクチュエーションとは、起業家研究から生まれた概念で、優れた起業家が用いている思考パターンをモデル化したものである(Sarasvathy,2008)。


 デザイン思考をはじめ、アジャイル開発、リーン・スタートアップ、エフェクチュエーションに共通するのは、それらがすべて不確実性への対処という文脈の中で語られることである。さらに、その不確実性とは、Knight (1921)のいう「第3の不確実性」のことである。第3の不確実性とは、結果が分からず、事象の生起の確率分布も未知であることに加えて、この生起の確率分布を普遍のものと仮定してよいかどうかも分からない状態のことを指している。Sarasvathy(2008)によると、このような経営環境こそが、エフェクチュエーションが適用される場面であるとされている。

 第3の不確実性の下では「予測」は役に立たない。そのため、そこでは予測をあきらめ、失敗すること(1回の取り組みでは上手く行かないこと)を前提に、その失敗からいかに効率的かつ確実に教訓を手に入れ、素早く次に進むことができるかに主眼を置いたアプローチが採用される。元・MITメディアラボ所長(現・千葉工業大学変革センター長)の伊藤穣一氏の言葉を借りれば、それは「地図を捨ててコンパスを頼りに進」むようなものであり、「市場の変化を敏感に感じ取るコンパスを手に、しなやかにプロダクトの方向性を変えて」いく方法のことである。また、「地図を捨てることでセレンディピティの恩恵にもあずかれる」とされている(Ries, 2011、392頁)。

 ただし、「デザイン思考と起業家によるエフェクチュエーションは似ている」などと主張する先行研究の多くは、実証的な証拠を欠く概念的なものである(例えば、Mansoori and Lackéus,2020)。しかも、それらはお世辞にも精緻な議論とは言えない。なんとなく両者は「プラグマティズム(実用本位)な存在であり、哲学的なルーツを共有している」とか「認識論的な基盤を共有している」程度の指摘だけで、理路整然と両者の関係を説明しているわけではない。おそらく、両者の関係を実証研究により初めて明らかにしたのは、Klenner, Gemser and Karpen(2021)である。彼らの研究では、デザイン思考とエフェクチュエーションは互いを高め合う関係にあるとされている。

  Klenner等が、オーストラリア人のデザイナー兼創業者(n=41)にインタビューを行ったところ、彼らはデザイン思考の実践(または、デザイナーとしての仕事経験)を通じて、エフェクチュエーション的な意思決定の方法を学んでいたことが明らかになった。そして、その結果から、Klenner等は、デザイン思考を使って不確実性に対処する際に用いられる認知原理や意思決定のルールこそ、エフェクチュエーションであると結論づけている。つまり、デザイン思考は「行動習慣(behavioral practices)」であり、エフェクチュエーションはそのための「認知原理(cognitive principle)」であると捉えているのである。さらに、彼らは、デザイン思考を通じてエフェクチュエーションの認知原理を実行に移すことを「entrepreneurial ways of designing」と呼び、デザイン思考によってエフェクチュエーションの認知原理を理解するようになることを「designerly ways of entrepreneuring」と呼んでいる。

 なお、エフェクチュエーションには 、①手の中の鳥(bird-in-hand)の原則、②許容可能な損失(affordable loss)の原則、③レモネード(lemonade)の原則、④クレイジー・キルト(crazy quilt)の原則、⑤飛行機のパイロット(pilot-in-the-plain)の原則の5つの原則があるが(Sarasvathy,2008)、Klenner, el al (2021)では、それらとデザイン思考との関係を次のように整理している。


①「手の中の鳥の原則」
では、起業の出発点において所与とされるのは、達成するべき目的ではなく、手持ちの手段の集合であるとされている。そこでは、起業家個人に固有の手持ちの資源を用いて「何ができるか」が模索されるが、デザイン思考に見られる人間中心主義の実践(顧客の観察)は、局所探索(local search)に陥る危険を回避させる。自分目線や組織目線からの脱却を可能にすることで、視野を広げる。

②「許容可能な損失の原則」では、起業する際には、どれくらいの利益が見込めるか(期待利益の最大化)ではなく、仮にうまく行かなかったとしても損失が許容できるか(損失の最小化)に基づいてコミットメントを行うべきとされているが、デザイン思考に見られるプロトタイピングなどの実験行動は、そのような潜在的な損失を抑制するのに役立つ。

③「レモネードの原則」では、一見不利なものも含む、意図せざる結果を無視したり回避したりする代わりに、梃子として積極的に活用すべきとされているが、デザイン思考に見られるフレーミングやリフレーミングは、アブダクション(abduction)により新しい視点を取り入れたり、偶発性をうまく利用したりすることを可能にする。そもそもデザイナーは制約に対して寛容なだけでなく、むしろそれを積極的に利用しようとさえする。

④「クレイジー・キルトの原則」では、起業のプロセスで自発的に参加してくれる人々とのパートナーシップを大切にせよとされているが、デザイン思考に見られる多様性の受け入れ姿勢は、様々な戦略的パートナーの意見を統合するのに役立つ。

⑤「飛行機のパイロットの原則」では、予測によって不確実性を減らす代わりに、コントロール可能な活動に集中することで、結果として望ましい状態に帰結させようとする。つまり、予測不可能な不確実性下でも、可能な行為を一歩ずつ生み出すよう努めるが、デザイン思考に見られる可視化は、イノベーションの軌道を想定し、コントロールすることを可能にする。


 ただし、エフェクチュエーションはそもそも、「不確実な状況における意思決定の一般理論」(Sarasvathy,2008)であるため、不確実性への対処行動であるデザイン思考がそれと同様の意思決定の原理を用いていたとしても何ら不思議はない。むしろ、彼らの主張は、「他の職業出身の創業者は何を通じてエフェクチュエーション的な意思決定の方法を学んでいるのか」という新たな疑問を生じさせる。エフェクチュエーション的な意思決定の方法を学ぶ手段はデザイン思考の他(例えば、アート思考)にもあるのか、それとも、職業は違っても、エフェクチュエーション的な意思決定の方法を学ぶ方法はデザイン思考に類似したものになるのか。Klenner et al (2021)では、この点については今後の課題として明言を避けている(なお、番外編⑧では、アート思考もエフェクチュエーション的な意思決定の方法を学ぶための手段になり得る可能性について議論する)。

 

●参考文献
Klenner, N. F., G. Gemser and I. O. Karpen. (2021), “Entrepreneurial ways of 
   designing and designerly ways of entrepreneuring: Exploring the  
 relationship between design thinking and effectuation theory.” Journal of
 Product Innovation Management. Advance online publication. 
 DOI:10.1111/jpim.12587.
Knight, F. H. (1921), Risk, Uncer tainty and Profit. Houghton Mifflin. (奥隅榮喜
 訳『危険・不確実性および利潤』文雅堂書店、1959 )
Mansoori. Y. and M. Lackéus. (2020), “Comparing effectuation to discovery- 
   driven planning, prescriptive entrepreneurship, business planning, lean
 startup, and design thinking.” Small Business Economics, Vol.54. pp. 791- 
 818.
Ries, E. (2011), The Lean Startup: How Today’s Entrepreneurs Use Continuous
 Innovation to Create Radically Successful Businesses. Currency. (井口耕二訳 
 『リーン・スター トアップ』日経 BP、2012)
Sarasvathy, S. (2008), Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise.
 Edward Elgar Publishing. (加護野忠男監訳,高瀬進,吉田満梨訳『エフェク
 チュエーション:市場創造の実効理論』碩学社、2015)


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