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ロジカルシンキングが苦手という人のための8つのトレーニング

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「ロジカルシンキングって全然できないんですよね」

「自分は論理的にモノゴトを考えることがどうも苦手で・・・」

という人に会う機会が、最近たまたま続いた。

その人たちの話をよくよく聞いてみると、彼/彼女は「ロジカルシンキング」について、そもそも僕とは大きく異なる捉え方をしていることが分かった。

僕からすると、彼らの「ロジカルシンキング」の捉え方自体が、「ロジカルシンキング」ができるようにならない(と彼らが思っている)原因の一つになっているように思えたので、今日は僕自身のロジカルシンキングの捉え方について、書いてみたいと思う。

また後半では、(僕自身がまだまだ訓練中の身であるのだが)僕が考える「ロジカルシンキング」の磨き方を紹介する。

ただし、僕自身が基本的にビジネスバックグラウンドの人間なので、ここで語ろうとしている「ロジカルシンキング」は学術的な話(論理学や哲学)でもなんでもなく、ビジネスで使う「ロジカルシンキング」のことである点は、ご考慮頂きたい。

巷で言われる「ロジカルシンキング」は、大きく2つの目的に沿って使用される

まず、どのようなツールも、目的に沿って使用されない限り大きな効力を発揮しないことは言うまでもないだろう。釘を打つための道具であるハンマーも、さすがに穴を掘る際には使えないだろう。

では、巷で言われる「ロジカルシンキング」の目的はというと、下記の大きく二つと考えて欲しい。

1.環境(市場や競合の動き、技術動向など)の変化に応じた、自社として最も優れた/合理的な打ち手を探索すること

2.打ち手を実行する際に、社内外問わず多くの人に打ち手の合理性について納得してもらうこと(その結果、協力してもらうこと)

このように目的を定義したのは、ビジネスの世界では、「環境(市場や競合の動き、技術動向など)に応じて、自社として最も優れた/合理的な打ち手を考え、実行する」ことと、「打ち手を実行する際に、社内外問わず多くの人に打ち手について納得してもらい、彼らを巻き込んで進める(進めざるを得ない)」ことが、業界を問わず常に求められるからだ(この部分は、正直トートロジカルな説明・定義で大変申し訳ないのだが、あまり深く考えずに、さらっと受け入れて頂きたい・・・)。

逆に言うと(後で詳細を説明するが)、「相手を議論で負かすため」「自分の知的優位性を示すため」といったような目的が最上位にあるとすると、それは「ロジカルシンキング」の使い方としては正しくない。「Aさんはロジカルシンキングにうるさくて、確かに議論には強いけど、頭でっかち。あいつの話は聞きたくない」と同僚に思われていたとすると、その時点で、定義上、Aさんは「ロジカルシンキング」を目的に沿って使えていない、ということになる。

自社にとって最も優れた/合理的な打ち手を探索することを目的としたツールとしての「ロジカルシンキング」は、実はそこまで完璧なツールではない

上述の通り、ビジネスを上手く遂行する上では二つの目的を上手に同時に達成すべきなのだが、話を聞いていると、「ロジカルシンキング」はあくまで「優れた/合理的な打ち手を考える」ためのツール、つまり一つ目の目的を達成するためのツール、と捉えている人が少なくないように思う。しかしこれは、僕から言わせるとかなりの勘違いだ。

と言うのも、「優れた/合理的な打ち手を考え、実行する」ためのツールとしての「ロジカルシンキング」は、確かに使えるツールではあるのだが、この目的に照らし合わせると確実に限界があるツールだからだ。

僕がこう考えるのには二つの理由がある。一つは、そもそも「ロジカルシンキング」を使ったところで正しい唯一解(優れた/合理的な打ち手)に必ずしも辿りつけないため。

もう一つは、優れた/合理的な打ち手に辿りつく際に、他のツール(?)の方が、例えば経験豊富な社長の「論理では説明できない直観」や「デザインシンキング」などの方が(もしくは占い等の方が?)、ツールとしての「ロジカルシンキング」より優れている、という可能性が十分にあるためだ。

僕は戦略コンサルタントをしていた頃、「ロジカルシンキング」ではクライアント企業にとっての唯一解に辿りつけないというもどかしさを、日々感じながら仕事をしていた。戦略コンサルティングという仕事では、スタディの結果に基づいて最も合理的/優れていると考えられる打ち手を提案するが、限られた情報や時間の中では、60%~70%正しいであろう打ち手を提案するのが精いっぱいだと僕は考えている。

時間をかけることによってこの蓋然性を80%~90%に高められるかもそもそも怪しいが、時間をかけることで時機を逸してしまう可能性もある。戦略コンサルタントの提案通りに事業を進めたが全くうまくいかなかった、みたいな例が世の中に溢れていることからも、必ずしもロジカルシンキングでは正しい合理性に迫れないということが分かるかと思う。

もう一つの理由であるが、例えば、若手の戦略コンサルタントが時間をかけて一生懸命ロジックツリーを書いて練り上げた打ち手よりも、ソフトバンクの孫さんやユニクロの柳井さんが閃いた打ち手の方が全然イケてることの方が多いのではないか、ということだ。こうした熟練の経営者の「閃き」は、後から説明を付ければ非常にロジカルであることも少なくないと思うが、その思考結果が出てきた過程を「ロジカルシンキング」であるとするのは無理があるように思う。

また、前に他の記事で書いた通り、斬新でイノベーティブな打ち手を考えたいなら、「デザインシンキング」のアプローチの方が、恐らく適している

上記のような理由から、真に優れた/合理的な打ち手を探索するフェーズにおいては、「ロジカルシンキング」が仮にできたとしても、そこまで威張り散らすようなことではない、というのが僕の見解だ。もしかしたら「ロジカルシンキング」ができることで、何か自分だけ真理へのアプローチ方法を知っているような気分になっている人がいるかもしれないが、それは誤りだと思う。

本当にロジカルシンキングを理解している人間であれば、その「真に合理的な打ち手を探索する」ツールとしての限界に気付いており、自分の「ロジカルシンキング」に基づいた提案が100%正しいわけでもないことも気付いているはずだ。更には、一件非論理的に見える/思える他の誰かの発言や思考にも、合理的な打ち手に繋がる何かが隠されている可能性があると、配慮すらするだろう。

「真に合理的な打ち手」を探索している段階においては、たとえ「ロジカルシンキング」ができようとも、自分の思考の限界について常に謙虚で、内省的でいるぐらいが丁度良い。

(残念ながら、戦略コンサルタントは自分の商売道具が不完全だと世に知らせるメリットが全く無いため、どんな関連書籍でも「ロジカルシンキング」は何か万能なもの、と語られがちだが)

一方で、関係者を納得させる、コミュニケーションを円滑にするという目的に照らし合わせると「ロジカルシンキング」はかなり使えるツールである。しかし、実際にしっかりと使いこなすには、「ロジカルシンキング」のルールを知り、運用できるようになることが不可欠

「ロジカルシンキング」を用いる二つ目の目的は、先に述べた通り「打ち手を実行する際に、社内外問わず多くの人に打ち手の合理性について納得してもらう(その結果、協力してもらう)」ためだ。しかし、これをドライに、「相手を納得させる時/説得する時に『ロジカルシンキング』が有効である」と書くと、どうも苦手意識を持ってしまう人が多い。

けれど、逆に考えると、少し見え方も変わるのではないか。

そもそも、誰もが過去に、誰かしらの説得に成功した経験は持っている。そして、その成功した説得のいくつかでは、しっかりと「ロジカルシンキング」の原理/ルールが(少なくとも一部)運用されていた可能性が極めて高い。つまり、苦手意識がどれだけ強かろうが、この二つ目の目的を達成するツールとしての「ロジカルシンキング」の運用に成功したことがない人間は基本的には存在しない。

どうだろう。上記のように発想を転換することで、苦手意識を少しでも取り除いてもらえると嬉しいのだが・・・

問題は、苦手意識を持つ人のほとんどは、その過去に成功したことのある説得について、どのあたりが(相手を説得する際に有効なツールである)「ロジカルシンキング」のルールに則っていたか、なぜその説得が成功したかを理解していないままの人が多い、ということだ。「ロジカルシンキング」を無意識に行って、どのあたりが成功の要因なのかが分からなければ、当然それでは苦手意識の克服は難しい。

下のチャートを見て欲しい。

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僕の定義では、「ロジカルシンキング」(領域H)とは、これまでの人類の経験・蓄積から、どのような論の展開であれば誰にでも納得されやすいか/反論されにくいかを、明確に定式化・ルール化したものだ。MECEやWhy So?、So What?等は、そのルールの構成要素である。領域Hの思考方法を明文化したもの、と言い換えても良い。

僕は、その「ロジカルシンキング」のルールは、人間が思考する力を有している以上、誰にでも理解可能で、適応可能なものだと考えている。「ロジカルシンキングは、万人が持ち合わせている思考の進め方である」と言うとかなり宗教っぽく聞こえるかもしれないが、「さすがに人を説得できた経験がない人はいないだろう」という僕の観察が、こう考える背景となっている。

ルールを知らない人は、基本的には自分自身が納得する/論理的だと思うやり方で思考する。例えばXさんだとその領域はA、D、E、Hであり、ルールを知らない限りにおいては、そのどこの領域で“論を運ぶ”かは、ある意味ランダムだ。例えば、このXさんの思考スタイルにクセがあり、領域Eでものごとを考える確率が高いとしよう。そうすると、この領域Eの思考スタイルはYさんにとっても「納得できる論の運び方」であるため、二人はお互いのことを気が合うと思うだろう。もしかしたらお互いに相手はロジカルだとすら、思っているかもしれない(しかしそれはルールが分かっていないから)。

しかし、XさんがZさんと議論する時はどうだろう。もしいつも通り領域Eの思考スタイルのまま議論を進めていたら、Zさんからすると「何を言っているか分からないヤツ」になってしまう可能性が高い。この段になって初めて、Xさんは自分の普段の頭の使い方が「ロジカルシンキング」のルールに沿っていないことに気付く機会を得る。あくまで機会を得ると書いたのは、往々にしてこういう事態に直面したとき、人は(Xさんは)、「あいつとは気が合わない/どうも分かり合えない」という感想程度にとどまりがちで、自分の思考が「ロジカルシンキング」のルールに沿っていたか、というところまで内省する人はとても少ないからだ。

友人関係では、単にXさんはZさんと付き合わないことにするだけで構わないのだが、ことビジネスとなると思考のクセが異なる人(「ロジカルシンキング」を適用しない限り気が合わない人)とも付き合う必要がある。故にビジネスの世界では、どのようにすれば、常に『領域H=「ロジカルシンキング」』で“論を運ぶ”ことができるだろうか、と常に考え、意識する必要が出てくる。

野球を上手くなるには、まずルールを覚えることが大事。「ロジカルシンキング」もそれと一緒

やや繰り返しにはなるが、少し角度を変えて、野球を例にとって再度説明してみよう。僕からすると、「ロジカルシンキング」のルール(何が「ロジカルシンキング」なのか)を知らないまま人を説得している人は、野球で言えば、どこに打ったらヒット、ホームランで、どこに打ったらアウト、ファウルなのか知らないまま野球をプレーしているに等しい。当たり前だが、ルールを知ったところでヒットが打てる(≒正しく「ロジカルシンキング」できる)訳ではないが、ルールを知ることなしに打率を上げることはできない。

人が野球をする際には必ずルールを学ぶところから始め、次にどうすれば活躍できるようになるかを工夫すると思う。しかし、こと思考に関しては、生まれながらにして人間誰しもが、なまじっかできてしまうために、逆に普通に生活しているとルールの存在を意識することがほとんどない。ルールが明確な野球に比べれば「上手くなりたい」という思いが空回りしやすいのが思考という分野だ。どうやって上手くなれば良いのか、思考については検討が付きにくい。

なお余談であるが、戦略コンサルティングファームのアウトプットにおいて「ロジカルシンキング」が効力を発揮する際は、それが往々にして「関係者が納得しやすい」「誰もが反対できない」ような“論の運び方” をできている場面だと、僕は考えている。

本当に正しい「合理的な打ち手」かどうか分からないものでも、誰もが納得して力を合わせて進められる「打ち手」であれば、それは強力だ。楠木建先生の『ストーリーとしての競争戦略』という書籍で、ピレネー山脈で遭難した登山隊がアルプス山脈の地図とは知らずその地図を信じて進み、下山に成功した、みたいなエピソードが載っていたと思うが、ある意味、戦略コンサルタントが描く地図は「正しい地図」ではなく(もちろんそれを志向しているが)、「誰もが信じて一丸となれる地図」なのではないかとも思う。

※ピレネーとアルプス、逆かもしれません・・・ちゃんと覚えてなくてごめんなさい。

また、これも余談だが、以上の話を総合すると、特に「ロジカルシンキングが苦手」という人は、「ロジカルシンキングが100%出来る人」と「ロジカルシンキングが全く出来ない人」という二分法的な考え方をやめるべきだと思う。「ロジカルシンキング」のルールに沿って“論を運ぶ”ことができたかどうかは、要はヒットが打てたかどうかのようなもの。もちろん「ロジカルシンキング」に関しては、限りなく10割に近いバッターもいるはいるが、いわゆる外資系戦略コンサルティングファームでも8割打てれば結構良いバッターに分類される気がしている。一方で苦手意識を持っている方々も、僕がこれまで見てきた限り2割を切っているバッターもあまりいないように思う。

打率8割を誇るバッターが打てない球でも、苦手意識を持つ打率2割のバッターが打てることがあったりもするので(でも本人は打てたことに気付いてなかったりするのだが)、苦手意識がある人が変にコンプレックスを持ち、発言すらできなくなる、みたいなケースは本当に多い。しかし、このコンプレックスは、可能であれば取り除けたら良い、もっと自信を持てるようになったら良いと、個人的には思う。実は誰もが、意外とできているのだから。もちろん、「ロジカルシンキング」のルールを学ぶことが、この(適切な)自信につながるのだが。

ちなみに、ここまで偉そうに書いておいて今更感があるかもしれないが、僕自身はおそらく6~7割位のバッターでいわゆる戦略コンサルティング業界のジュニアスタッフとしてはギリギリ合格?くらいの打率の人間だと、自分では認識している。しかし、僕は大学三年生の時までは「ロジカルシンキング」のルールすら知らず、「ロジカルシンキング」に苦手意識すら持つ2~3割バッターだった。であるが故に、ここで書いたように「しっかりとルールを知り、やるべきことを繰り返す」ことで、打率を(ある程度)改善できると信じているのだ。

「ロジカルシンキング」ができるようになるためにすべき、8つのトレーニング

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