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雨の銀座、せりそばと老舗銭湯|TRAVEL LIGHT #1

旅人のように街を歩こう

朝、私はふと思った。今日はどこかへ行こう。

平日の夜、寝るまでの数時間。行ける場所は限られる。でも、おいしいものを食べて、湯に浸かれば、それはもう旅なのではないか。急にそうひらめいて、通勤バッグにタオルを加えて、家を出た。

どうせなら、東京観光でも訪れるような場所にしようと、仕事を終えて向かった先は銀座。傘をさしてウインドーショッピング。すれ違うのは海外からの観光の方ばかり。いろんな言語。なんだか外国に来たみたいでちょっと楽しいかも。

でも、お買い物には縁がない私。今日の目的は、街の人に愛される食堂と銭湯に入ること。もっともふさわしくなさそうな大都会で、そんなローカルな旅ができたら、きっと楽しいはずだ。

いわゆるコリドー街も、雨のせいか、道ゆく人はまばら。照明が眩しいお寿司屋に行列ができているくらい。そこから一本入った、渋い路地にあるのが「泰明庵」。1957年創業、そばと軽食のお店。

おそるおそる扉を開けると、すでに満席状態。さくっとそばを食べるというより、年齢層高めのお仕事帰りの方々があれこれつまみを頼んで、楽しそうに呑んでいる。昭和感に溢れた、なんとも落ち着く雰囲気(平成生まれだけど)。

壁一面に並ぶ短冊メニューに目を泳がせ、注文したのは、白子の天ぷら、せりかしわそば。店員さんに「せりは根っこも入れていいですか?」と聞かれる。思わず「お願いします!」と食い気味に返事。せりは根っこまでおいしいのだ。

さくさく とろり、しあわせな味。
そばが隠れるほど、せりいっぱい。量はけっこう多め。

白子はトロトロ、せりはシャキシャキ。ああ、しみじみおいしい。聞こえてくる店内の音も、いいBGMになる。
“穴子の天ぷら、あと、たら煮もちょうだい“
(それもおいしそうだなあ)
“俺は週に3回はここに来てるんだよ“
(後輩たちを前にうれしそう)

見回すと、誰もが肩の力を抜いて、満足そうにしている。この居心地こそが、いい店の証かもしれない。まだまだ楽しんでいる人たちを横目に、さっと食べて店を出る。今日はもう一軒の老舗に行くつもりだ。

足はさらに銀座の中心地へ。帰りの一杯を楽しむサラリーマンたちの光景が、なにやらまた変わる。着物の女性が前を歩く。ここは銀座の花椿通り、高級クラブらしき看板が並ぶ。夜の街は、これから始まる、という活気を纏っているように見えた。そんな大通りを右に曲がると、「金春湯」に着く。

ビルの一角にこぢんまりと。向かいは有名鮨店。

入り口の暖簾をよく見ると、“創業文久3年“。想像をはるかに超えた、江戸時代から続く老舗銭湯。飾り付けの可愛らしい廊下を抜け、扉を開けて、番台で520円払う。銀座でこの価格でゆったりできるのがなんだか嬉しい(比較するものでもないけど近隣の喫茶店のコーヒーは千円するし)。

中は清潔感に溢れていて、いい匂いがする。鯉のタイル絵と富士山のペンキ絵が色鮮やかで、どこかあでやかな雰囲気。深めのジェット風呂の細かな泡に包まれて、体の力が抜けていく。43℃とやや熱めで、上がって鏡を見るとほんのり赤くなっていた。番台さんが、ご常連に体を気遣う言葉をかける。そんなやりとりも耳に心地よい。「おやすみなさい」という見送りの言葉とともに外に出る。

駅の方向へ、また煌びやかな大通りを歩く。出勤ラッシュの時間だったのか、向こうからやってくるのは、綺麗にヘアメイクして、ロングコートの下に華やかなワンピースを着た女性たちばかり。前を見据えて足早に歩く彼女たちをぼんやり見ている私は、まだ濡れた髪をひっつめて、すっぴんのまま、リュックを背負ってゆっくり歩いている。

着飾って銀座を歩く、そんな全然違う人生を送る自分を思い浮かべてみるけど、想像は長くは続かない。その地に生きる人の日常を垣間見て、思いを馳せるのが旅かもしれない。

さて、お腹はいっぱいで、体はぽかぽかだ。あとは帰って寝るだけなのがうれしいなあと考えながら、地下鉄への階段を降りていく。



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