読書記録66 『書きたい生活』と根拠に支えられない文章の効力
僕のマリの『常識のない喫茶店』を読んで、他の著書も気になったので、『書きたい生活』を読んだ。どっちも好きだけど、後者の方がよりスッと入ってきた。
オードリーのラジオを聴いていたり、
吉本ばななの本や『とんこつQ&A』『文にあたる』を読んでいたり、
しんどくてどうしようもなくなったり、
シンクロするところがあって読みやすかったのかもしれない。
その中でも特に心がじわーっとした文章がある。
「引っ越ししてからも変わらず、書店へ行き、図書館へ行き、本を読んで、文章を書いた。そうしたいと思っているというよりは、気づいたらそうしている、といった具合だった。それは子供の頃から変わらないし、もし本を出版していない人生だったとしても、きっとそうしていたと思う。喫茶店で本を読む時間や、一日の終わりに部屋で日記を書いている時間が何よりの癒しなのは、ずっと変わりない。だから、もしこれからまた引っ越ししたりして環境が変わることがあったとしても、書くことと読むこと、それさえできていれば、わたしは大丈夫なんだと信じている。わたしの未来は明るいなあ、と目を細めたまばゆい冬だった。」
「書くことと読むことができていればわたしは大丈夫」って、明快な宣言に心を掴まれた。
論文という論理的な文章の組み立てが異常に苦手で、「研究つらい…」となっている今の自分に、勇気を与えてくれるような、隣にスッと立ってくれているような。
意味が掴めないこととか、主観的で全然理由がないこととか、そういうふわついたものが好きで、それを論理ガチガチの論文にテーマとして持ち込もうとしていて苦戦している。
根拠がなくたって直感でいいじゃないか、という文章がエッセイに溢れてて、それが正しいか間違ってるか判断する必要がなくて、それが心地良いのかもしれない。
こんなふうに思ったことをそのまま書いていくことが、論文を取り組む上で良いガス抜きになるかもしれないと思った。
明々後日の発表どうにか乗り切れそうと思った今日この頃。
かしこ
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