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「麒麟がくる」終わってしまった。。。


基本的に大河のオープニングは素晴らしいものが多いので好きなのですが、今回のものは特に好きでした。
謀反人として知られる明智光秀を主人公に据えた場合の、本能寺の変に向かうまでの心情や暗示が、映像と音楽、文字のサイズなど、すべてを使って存分に表現されていたと思う。

「麒麟がくる」は、通常、信長、秀吉、家康の三傑を正統とした視点で語られることがあたりまえの戦国時代において埋もれてしまった光秀の生きざまやその役割がどれほど重要で意味を持っていたかにスポットを当てた題材と脚本であったことがまず素晴らしく、更にその脚本を超えた俳優陣の名演も見ごたえがあってとても楽しめるものでした。
もちろん、「もっとこうして欲しかった。。。」はたくさんありますが。

というわけで、
数週間前に江戸川橋辺りにある「永青文庫」行ってきました。
ここは足利将軍に仕え、その後、信長、そして、秀吉、家康の時代を生き抜き、 家を存続させた細川藤孝、忠興の「細川家」の屋敷と庭園を使った美術館なので、
細川家に伝わる、細川家だからこそ残すことが可能であった激アツの展示物があります。
信長から明智光秀や細川藤孝に宛てた書状、細川ガラシャ(玉)の手紙などがあるのです。

書状のなかで信長は「お主の報告はまことに詳細で、まるで自分の目で見ているかのような心地である。」と光秀の戦況報告を絶賛しています。
そして、藤孝への書状には「光秀とよく相談せよ。」という言葉もたくさん出てきます。
ちなみにガラシャの手紙の書き方が独特過ぎてかなり衝撃。(是非、見に行ってください。)
あの蘭奢待も展示されています。

これらの貴重な資料には、叱責されたり、いじめられて突発的に謀反を起こし、「三日天下」と揶揄される反逆者の姿はなく、
信長から頼られ、特別な信頼を得て、中途組でありながらも織田家中のナンバー2にまでなった紛れもなく有能な家臣、明智十兵衛光秀の姿を今に伝えます。

※撮影禁止でしたので、是非、行ってみてください。。。

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