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複雑と単純の狭間

複雑と単純は、反対の意味です。
なにが複雑で、なにが単純なのかは、捉え方やその人の経験値、知識に依存します。

わたしは経験値も知識もひよこでもなく、たまごでもなく、なんなら鶏の中にまだとどまってくるらいのレベルです。
世の中のだいたいのことは複雑だなと思います。

でも、そもそもわたしは、複雑なほうが好きです。
世の中に、単純なことなんてひとつもないと思っています。(ひよっこなりに)
便宜的に命名したものも、最初はナニモノでもなかった。

複雑なことは複雑なままでいい。
ときに単純に表現することも必要で、そのことばに救われることもあります。
でも、救われるときは、複雑さの海に迷い込んで出れなくなったとき。
最初に飛び込む海は、複雑なほうがいい。

迷い込んで、溺れかけて、なんなら溺れちゃって。
ほとんど絶望みたいな、そんな気持ちになったときに、ようやく光を、手を、見つけられる。
その希望が、単純さだと思う。

最近は、「ことのむずかしさ」を痛感します。

なんとなくわかる、言いたいことはわかる。
整理されてることばで説明されて、よくわかるし、ぐうの音も出ない。
なんなら「なら、こういう風にアウトプットしよう!」と頭の中では、具現化された像ができあがっていることもある。

にも関わらず、うまくいかない。

この現象、なんて説明すればいいんだろうとよく思います。

知っている・理解している・わかる、のレベルの話をよく聞きます。
それに近いけど、そんな単純じゃない。

わたしの頭の中で考えていることが、ことばにできない。言い換えができない。デザインに落とし込めない。
つまり、咀嚼できていないこと?
それに近いけど、もっと複雑な気がしています。(ひよっこなりに)

複雑なことを複雑なまま、それをアウトプットする。
単純に落とすほうが、極めてやりやすい。手が動く。
でも、それだとおもしろくない。

単純なことが正義なんて半分ウソだった。
わかりやすいことばで説明することが正義なんて、よく書かれてるけど。
最初からわかりやすいことばで伝えちゃうなんて、ばかにされてるじゃないか。

それくらいの気持ちで、複雑と向き合いたいです。

複雑と単純の間をゆれうごく。
このゆれうごきが、何者でもないわたしを、みたことのない世界に、海に、連れて行ってくれる気がする。
連れて行ってもらうんじゃなくて、行ける。
自分の足で。(手で?羽で?)

そしたら、少しはいいたまごを産めるくらいの鶏に成長する。(はず)

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