正義とアンパンマンと私

こんにちは。noteではお久しぶりです。Twitterを見てくださっている方々にはいつもお馴染みの、ですね。

今回、140字では収まりきれないほどのテーマがありまして。それが「正義」についてです。

みなさんは「正義」というとどんなイメージがありますか?

私は「正義」とは「力」だと思っていました。それも、物理的な力。

なぜそのようなイメージが出来上がってしまったか。

ひとつは、「アンパンマン」が原因なのではないでしょうか。

小さいころ、アンパンマンを観て育ったという人も多いでしょう。

私もその一人です。

アンパンマンは、バイキンマンを「アーンパーンチ」といって闘います。

手許の六法を引いてみます。参照するのは我が国の刑法です。

刑法第36条第1項 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防御するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

ここでは、「他人の権利」を侵害された場合にも、正当防衛が成立すると書かれています。よく、自分が傷つけられた場合でないと正当防衛は成立しないと誤解されますが、実際には他人を庇う行為も含まれるのです。

すると、例えばカバオくんがバイキンマンにいじめられており、そのために奥義「アーンパーンチ」を繰り出すのも許されるということです。だから、アンパンマンの行為は刑法に照らして正当であるといえる。法的にいえば違法性が阻却される。でも、それがいえるには「急迫不正の侵害」であったり「やむを得ず」であったりする必要がある。アンパンマンのやり方は往々にして「過剰防衛」にあたるし、「急迫不正の侵害」ではない場合も少なくない。となると、バイキンマンのみならずアンパンマンは法によって裁かれなければならないことになります。……

こんな法的な議論をしていくと、アンパンマンは法的には決して「正義の味方」ではない。だが、子供のイメージではアンパンマンは絶対的な正義なのです。「悪を自ら懲らしめる」ことこそ正義なのです。

話を変えると、私は身体的なコンプレックスがあります。障害のため、あるいは単純な遺伝のため、運動が極端に苦手です。長距離走は何とかできたが短距離はからっきし。怖いものが苦手だから武道や体操もできない。本当は、警察官になりたかった。刑事事件に興味があったし、何より犯罪者の心理に興味があった。今こうして社会科学系学部でチマチマと刑事学や刑法学を学んでいるのも、そうした興味からです。

今だって、なれるものなら警察官になりたい。ですが、私にはなれません。小さい頃は、身体的に劣った自分は警察官にはなれないし、頭も悪いからキャリア警察にもなれない。正義を実現することはできないと思っていました。

だが、正義とは実行力、警察力だけなのだろうか。「力」ではなく「気持ち」にぶつかる正義もあるのではないか。

そんなふうにして、「教員」を目指すことにしました。生徒指導や学習指導を通じて、正義を実現できるのではないかと。最近は、「法務教官」という仕事にも魅力を感じています。

警察の正義は「実行力」にあります。ですが、教員や法務教官、カウンセラーにある正義は、「寄り添い」である。それは単に犯罪を抑止するだけでなく、人間そのものを更生させる正義であり、倫理学的なもの、アリストテレスやカントの正義論にも繋がりうるのです。

そんなこんなで、大人になると、あるいは法や哲学を学ぶと、正義についてさまざまな視点を得られる。杓子定規とは反対解釈の、多様な「正義」こそ法の実践だと私は考えます。

長い文章お付き合いいただきありがとうございました。今回はこのあたりで、さよなら。




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