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君といる時の僕が好きだ

「もりきちの周りにおる人、良い人ばかりで本当にもりきちのこと羨ましいなぁって思ったんよ」

つい何日か前の夜。僕が遊びに行ったバーで、お友達に言われたことです。

これがなんとも凄く嬉しくて、自分のことを直接褒められたときよりも、心がワサワサしていました。

この感情とか考えたことを、書き残しておかなければと思ったのです。


僕は褒められるのが苦手な性格です。褒められたらどんな反応をすればいいのか分かりません。そして褒められるとどうも調子が狂うようです。

でも、ちゃーんと心の片隅で「認められたい」という想いはあります。

周りからどう認められたいかって、今まで何度も考えたことがありましたが、よく自分で言ってきたのは、「自分の周りを誰かのイドコロにしたい」というものでした。

「もりきちのつくる空間にいると安心する」
「もりきちと過ごす時間はいつも楽しい」

そう思ってもらえる人間になりたいと。
つまり、そうやって認められたいと考えています。

そしてこの言葉を振り返るわけです。

「もりきちの周りにおる人、良い人ばかりで本当にもりきちのこと羨ましいなぁって思ったんよ」


なぜそんなに嬉しかったのかと、考えました。

「自分の周りを誰かのイドコロにしたい」という想い。そして今、僕の周りにいる、もりきちとの時間を必要としてくれて、楽しいと感じてくれている人達。(=僕が生み出す場を1つのイドコロと感じてくれている方)

その双方を認めてもらえたような気がしたからだと思うのです。

僕の周りの人を「良い人達ばかり」と。

なおかつ「そんな人に囲まれているもりきちが羨ましい」と、友達は言ってくれました。

僕の想いと、僕の周りに(少なくともこの文脈において)できあがっている居場所を、その友達に認められた気がしたんです。


決して自惚れてるわけではありません。

僕のこだわり(きっと抽象的で他人からは掴みにくいもののはず)を、褒めていただけたことをちゃんと噛み締めて、また次に足を進めていきたいと思っての"記録"なのです。

自分の周りに居てくれる人、自分と一緒に過ごしてくれる人、自分と悩み考え進んでくれる人。

そういう存在や環境が、決して当たり前では無いことに感謝しながら、「自分の周りを誰かのイドコロにしたい」という理想の自分像に向き合っていきます。

そういえば、ふとこんな歌詞を思い出しました。

君といる時の僕が好きだ。

なんでもないよ / マカロニえんぴつ

この歌詞の中では恋人に対してのものだと思いますが、恋人に限らず僕が関わる全ての人との時間で「君といる時の僕が好き」
そして逆に、僕と関わる時間が相手にとって「君(もりきち)といる時の僕(私)が好き」

そんな関係性を互いに築いていければ幸せですね。

皆様のサポートは活動費に使わせていただきます。 まだまだ成長過程の未熟者ですが、ご支援いただけますと大変嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。