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言語化が自分を教えてくれる

幼稚園くらいから私たちは文字や言葉を学び始めて、
学生時代を経て今まで学んだ文字を使って言語化する作業を当たり前のように行います。

私を含む社会人は、人によって言語化する作業が多かったり少なかったりしますが、自分の頭で考えて言語化する作業は重要だという話です。

脳みそから文字を生成する過程でモヤモヤに気づく

文字を生成する価値がある理由は、
アウトプットする際に、自分の脳みそにある曖昧な部分を必死に言語化しようと思考することで、新たな気づきを得るからです。

学生時代のテスト勉強でも、
答えを見ずに暗記テストをしてみると、曖昧な理解だったり記憶に定着していない部分が空欄になって、自分がどこを理解できていないかを把握することができます。
自分が理解できていない点を知ることは、一つの学びなのです。

社会人になるとテストではなく、
自分の周りに存在する問題などでふわっとしたまま、見えない存在となるものがあります。
ふわっとしたものは、誰かによって具体的な問題だと言語化されない限りは対策も具体的には取られず、その問題が大きくなるまで隠れてしまうこともあるのです。

つまり、文字に起こそうとすることで、
問題を言語化し、明確な対策に取り組むことができます。

思考して言語化するサイクル

日記でもこのnoteでも手段はいくらでもあります。
自分の生活に馴染みがある手段で自分の言葉で言語化する作業を定期的に行うことが重要だと思っています。

私の場合は、週1の言語化サイクルが定着したことで、
定期的に自分の中での曖昧な点を理解する機会があります。

自分のことを自分がより理解する機会を設けることで、
新しい挑戦をするきっかけになることもあるし、今の自分が抱える放置してはいいけない問題に取り組むきっかけを作ることは重要です。

自分の抱える問題を浮き彫りにした後は新しいステップに進んで、
その問題をどう改善するかに時間を費やしていきます。

問題をどれだけ解決するかの鍵を握るのは、どれだけ自分がその問題をしっかりと把握し理解できるかという点から始まるのです。

それでは、

おまけ

草原は人類に必要でした。

アニメの影響によって、
ヤギとたわむれたり、草原にそびえ立つ大きな木の影で、座り込んで読書を楽しむクール少年がいたりと憧れの世界は自分の記憶にありました。

それをまさに再現できるような近所の大きな公園に初めて行ってみて、
草原で寝転がる家族を見たり、池を見ながら自分も大草原の中に小さく座り込んでみました。

晴天の空の下、時間の流れを気にせずに、何を考えるでもなくただただ周りの木々やはしゃぐ子どもたちを眺めて。

私にとっては有意義な時間でした。

何か新しい発見をしたわけではないものの、
普段よりも自由に思考している実感があり、
漠然の未来のことを考えたり、目の前の景色のことを考えたり。
周囲の開放的な空間のように自分の脳みそが広がっている感覚がありました。

周りの人も気にしないほど広大な空間で、
各々がゆっくりと時間を過ごしている環境もまた癒しでした。

定期的に自分を癒しにいく時間と空間は必要なようです。

またね。

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