見出し画像

CRYAMYとわたし

日比谷野音での彼らのライブを見に行ってから
2〜3日くらいは体が動けなくてほとんどベッドで寝たきりだ。何故だろうかとにかく虚無感の中彼らの曲をまた聴いて思いふけてる。

これから話す事は自身が感じた事だったり私情とか、いえば自分語りです。こういう事は自分の心に留めておくものだと思うけどnoteを通じて彼らへの感謝と思い出を綴っていこうと思っています。とっても長く綴っているので長々と書いてあれだけど知ってくれてる人に届いてもらえたらいいかなって思ったりしています。

---------------------

彼らとの出会いは2018年7月、今は無き渋谷乙というライブハウスでの対バンだった。自身はHue'sのドラマーとして、「How are you」のリリースツアー東京編として。CRYAMYと初めて対バンをした。その日、mabutaとも灰色ロジックとも初対バンだった。ライブに遊びにきていたヤマトくん、石左くん(イセノくん)もCRYAMY目当てでライブを見ていた。確かその日がCRYAMYを組んで2回目のライブだったみたいでその時に感じた事はとにかくうるさくて早くてヒリヒリ感の中にワクワク感があった。今でもカワノくんが着ていた少しボロボロのソニックユースのTシャツが鮮明に記憶に残っている。終演してから各バンドへの挨拶をしつつCRYAMY一同にも話した。少し自信がなさげな雰囲気だったけど、彼らのライブにすごく感銘を受けた事を伝えた。そこで初めてカワノくんと連絡先を交換した。

そこから2019年を経てから彼らとはよく対バンをする事になる。思い出の一つになった日といえば2月PK shampoo企画の十三FANDANGOでの3マン。そして翌週での下北沢シェルターでの対バンにROKIやオレスパだったりみんないた。遊びにきてたCRYAMYの面々やヤマトくん、昔の動画を人伝えで送ってくれたりするけど懐かしい気持ちとあの頃のみんなとのバチバチ感とそのシーンを盛り上げようという気持ちが鮮明に残っている。とにかく今でも忘れない。その後CRYAMYの1st single 「crybaby」のリリースイベントにHue'sも呼んでもらって、PK、時速36kmと4マンでのライブだった。そこで初めて下北沢daisybarに出演できたし、何より今は無きbasement-timsでの周りの人たちともぐっど仲良くなれた気がする。後にその年11月にて梅田クアトロにて行われたSHOWCASEというイベントでも出演オファーを頂いた。その日も思い出の一つだ。
その中でも2019年の夏、自身Hue'sの1st.E.P「Ambi-wave.E.P.」リリースイベントを新代田FEVERでのCRYAMY、aoni、GLASGOWとの4マン。地元大阪寺田町fireloopにてCRYAMYとの2マンはかけがえのないものとして記憶に残っている。忘れられない日だった。

引用参考元(当時からまとめておいてよかった)
https://hues1019.jimdofree.com/live/live-history-2019/

---------------------

2020年の1月を迎えてCRYAMY 2nd E.P.♯3「月世界旅行記」リリースツアー名古屋編と京都編に誘ってもらった。京都編は急遽O.Aという形で出演させてもらったけどその日京都nanoで聞いた"世界"がとても美しかったんだ。自身の感情も(その時色々とあったけど)見ていて涙が止まらなかった。後ろの方でみんなに見られないように必死に堪えたいた。

その年3月には自身Hue's 2nd Single 「I LOVE YOU」のリリースツアー東京編が下北沢daisy barにて。その後CRYAMYのツアーにて同月14日にて十三FANDANGOにてPK shampoo、Hue'sの3マンを予定していた。がちょうどコロナウイルスが流行りライブハウスが目の敵にされていた時だった。その日のイベントは延期となった。この3マンをする事に自身も楽しみにしていた反面、6月17日を最後に無観客生配信ライブにてHue'sを脱退する事になった。

---------------------

2020年のコロナ真っ只中に東京に引っ越しをして自身もソロ音源のデモ作りに夢中になっていたり職探しに必死になったりとフラフラと生きていた。そんな中最近どう?って声をかけてくれたり心配してくれた友人としてカワノくんには本当に今でも感謝をしている。心を許せれる友人は東京に少なかったけど定期的に会ってくれて相談を聞いてくれたり飯を食べに行ったりしてくれた友人の1人だった。

後にApesというバンドに加入する事になった。後日、ライブに遊びにきてくれたり応援してくれたり家がなくなった時は3日間ほど泊まらせてくれたり何度かあの喜多見の家に遊びに行った事、近く川に行って2人で話した時間やお互いのバンドの近況を報告しあったあの瞬間、深酒はせずとも飲んだりタバコを吸ってとにかく聞き手になって話を聞いてくれた事、それでも生きていて辛くなったりして後に身辺整理をしたくなって機材を全て預かってくれた事、Apesのリリースツアー企画を新宿marbleにてCRYAMYとの2マンをした時にMCで「一番初めにライブハウスでできた友達」と話してくれた事、いつかバンドをしたいねという話から真空仏陀契のメンバーとして誘ってくれたり(母乳ワクチン)として、コロナにかかってしまって真空仏陀契でライブできず少し疎遠になっちゃったけど、2022年冬にApesを脱退した時に、その翌年カワノソロバンドとしてドラムをバンドをライブをする機会を作ってくれた事、今年にはツアースタッフとして誘ってくれた事、その恩は忘れない。彼は僕に対して有言実行をたくさんしてくれた。故に彼の優しさに甘えてしまっていた。

---------------------

今年の2月から3月初旬に色々と辛い事が重なってしまって、希死念慮が強くなってしまい自殺をはかろうとしていた。ドラムサポートをしていたNikoんもそうだし仕事も、配信関連の仕事も全て、そして今回のCRYAMYのツアースタッフ、残り半分のツアーも動けなくなってしまって5月半ばまでは完全に引きこもってしまった。日々の中で息抜きをしたり日記を書いたりしていた時期もあったがこのままじゃダメだって。

CRYAMYのみんなから一人一人連絡がきて電話もくれたのに自分の気持ちがいっぱいいっぱいになってしまって申し訳がなかった。
その時カワノくんからの電話でしっかり怒られました。けどあの時の言葉があったから思い踏みとどまれた。その日その場所でうずくまっていた自分を助けてくれた弟とHue'sの旭とみずやんにも申し訳ない事をしてしまった。あまり多くは言えないけど少なからず関わってくれた人から心配をしてくれて申し訳ない気持ちだった。自暴自棄に走っていた。

思えばいつからかはわからないけどちゃんと病院に行って診断を受けたのは2年と少し前。その前から色々と溜め込む性格もあってか人と上手く付き合えない事が多々あった。双極性障害と診断を受けて気分の浮き沈みの中ストレスや色んな理不尽な事にうまく対応できてなくてそのこともあってひどく自分を責めてしまったり悔しい事があると希死念慮を強く感じてアルコールに走って飛び降りを何度か考えたりしていた。自分の気持ちをコントロールできなかったのが素直なところだ。

CRYAMYのみんなから、ひとりひとり連絡があって伝えてくれた事や話してくれた事、今思い返してみるとそうだった。ツアーを通じて彼らのライブ見ていると"生きる"という事をすごく言葉に伝えてくれていた気がした。

---------------------

今回の日比谷野外音楽堂でのワンマンのライブ、アルバムのRECをスティーブアルビニに連絡をした事、"世界"を再録をする事をかなり前から話してくれていた。後に"待月"も再録をする事を知る。

それは去年だったかな、アルバムのレコーディングをする前の話、今回のワンマンまでに至るリリースツアーに関してメールのやり取りや作業がかなり多い事カフェでカワノくんと2人で話した時にそう感じた。喫煙所に移動しても尚、携帯と睨みっこをしていた。そんな彼を見ていて疑問に感じた事があった。ちょうどマネージャーだったあいださんも離れて本当に大変そうだった。そこまで大変なのはきっとこの先にたくさんすごい事が決まってるから?なんてなんとなく聞いたがその時に話してくれたのは、「終わりが見えているから今こうやって頑張れている」と虚な目で話していた。聞いた時は衝撃だったけどなんとなく気持ちがわかる気がした。ツアーのメンツの話を聞いて本当に最後に向かってる気がしてしまった自分がいた。その後に2人して仙川駅近くのベンチに座ってボーっと喋る。当時2019年の話をしていた。あの時のあのシーンは今はできないから失敗しちゃったのかもねなんて話したりした。すこし胸が痛くなったけど俺もカワノくんもきっとあの時の思い出は色褪せないものだと感じた。

---------------------

レコーディングを終え彼らが日本に帰ってきた。少し落ち着いたタイミングで飯でも食いにいこうと話していた。仙川駅のカフェに入ってレコーディングほやほやの(mixほぼおわって)の世界を11分間間弱じっくり聴かせてもらっていた。聞いた時の実感の話はドラムの音がすごく良くてなにこれ!って話をした記憶がある。部屋の撮り方や、せーのっで撮った4人での一発撮りのサウンドを聞けてワクワクした。後にアルバムをリリースする前に関係者が聞けるリンクを送ってくれた。俺なんかに送って大丈夫?って烏滸がましく思ったけどとても嬉しかった。

後日その音源達を聴いたけど日比谷ワンマンを発表したあの恵比寿リキッドルームでのライブを思い出した。確かにこれまでのCRYAMYとは色が違う曲達だった。全ての曲たちをなんとなく受けれるのに時間はかかったのは本音の話だ。"光倶楽部""葬唱""街月"を聞いてそういやいつかのCRYAMYのスタジオで、大森くんが体調不良で不在の時に急遽レコーディング前のアレンジの確認もあってその場で即興で覚えてドラムを叩くスタジオに入った事を懐かしく感じる。


---------------------

ツアースタッフを通じて感じるセトリを変えずアルバムの曲をやり通すのはとってもカッコいいと素直に思った。スタッフをしながら聞けば聞くほど曲の虜になっていった自分もいたんだ。けど"世界"は演奏をしていなかった。必ず"人々よ"でライブを終えていた。言葉が優しくて、何か寂しそうだけど、終わりに向かっていってるというのが日に日に感じていた。

しかし大阪でのYogiboメタバレーでのライブ前に早くに到着した際に布施にある健康ランドにてカワノくんと2人湯船に浸り露天風呂のベンチで話した。あの時カフェで話した「終わりが見えているから今こうやって頑張れている」という話、今はどんな心境?と本音を話した。その時彼は「日比谷のステージに立ってみないとわからない」と少し微笑んでいってた事が少し希望を感じれたのだ。確かに最後に向かっているとは見えるけど、辞めるのではなく少し休むというふうになってれたらと心の中で思っていた。大森くんも書いてたけど少なくともみんな全力だったんだ。

ベンチでくつろぎながら最近はツアー以外で人と会ってたりする?という話になって、色々話してくれた。自分の話もした。かつて自分が中学生の時に音楽をバンドを好きになった(バンドを始めるきっかけになった)大阪の親友が今一番聞いてるバンドがCRYAMYだった事を伝えれた。本当に妙なものでどこか繋がっていくものなんだ。後にその親友を連れて日比谷野音ワンマンに向かう事になる。

---------------------

"天国"という曲。MVは彼の出身の場所である鹿児島で撮影をしていた。どことなく自分もリンクする事があった。僕も生まれた場所は鹿児島の奄美だけど過ごしてきた場所は大阪で今年の2月に母が亡くなって久々に大阪の実家に帰る事になった。その後3月にまた少しだけ大阪に帰る事になるけどそこで自身のソロ音源のMVを大阪の地元、鶴見緑地で撮影する事になる。

母は統合失調症で入院していて入院先で亡くなった。さっき話した布施の健康ランドでカワノくんと一旦仮眠スペースで別れた後、実はその後母のお見舞いに行った。面談はできないほど状態が良くなくて結局その日は会えなかった。人はいつ亡くなるかわからない。スティーブアルビニの訃報を知った時はびっくりした。"THE WORLD"という曲は本音で向き合った曲の一つだと感じる部分がある。

色々たまたまなんだけど、かくにも勝手に自身と結びつけてしまう部分があった。地元の話だったりその後の上京してたの話や、その前の話、京都にいてた頃の話、八王子に住んでた頃の話やふとなんでまたバンドをしようと思ったのか、そんな話をお互い布施の健康ランドにて風呂上がりに喫煙所でコーヒー牛乳を飲みながら話した。だから"天国"という曲は自分の中で色んな心情を感じ取りながら今も聴いている。


---------------------

もちろん日比谷のワンマンは伝説の日だったけど2023年3月の渋谷クアトロでのワンマンが今でも忘れられない日になっている。あの日のライブをもし一言で表すならば自分の中で「一生分のロックを浴びた」と感じる1日だった。今回のツアー前に「独演- SHIBUYA CLUB QUATTRO」の上映会を新宿LOFTで行っていてスタッフとして参加させてもらった。その時に今後のツアーのスタッフしての動向の説明を受けつつ、アルバムの話もできた。中でも"ウソでも「ウン」っていいなよ"と"天国"は好きな曲だよと話せた。実はみんな楽屋裏にメンバーと撮影チームも揃っていて本当はアンコールは4人でやるつもりだったんよなって思った。ライブDVDも頂いて今では定期的にあの日のライブをみて浸ってたりする時間があります。

そもそもワンマンライブをあの熱量で全力で演奏をする、歌い切るというのはとてつもなく凄まじい事でCRYAMYのあの4人が本当に素晴らしくてカッコよかったんだ。渋谷クアトロで見た"世界"を体感できてよかった。何より"あの時に見た"まほろば"という曲に何度も涙を流してしまった。あの日も伝説的な一日だった。

色んな事を思い出したりして日比谷のワンマン前日に寝れなくて"まほろば"のドラムカバーをYouTubeに投稿してました。この曲を当日聴けたらなぁと思って色んな感情が溢れていた。
(PCのバグで音録音保存できてなくて生音だけど。。)

---------------------

来たる日比谷野音でのワンマン。CRYAMY Will Be Back Tのブラックを着て親友を連れて13時過ぎに日比谷駅で待ち合わせをした。そこから先行物販に並んでいたが驚くくらい長蛇の列だった。2時間弱ほど並んでいたがこれは買えないかもなぁと悟り諦め2人新橋の立ち飲み屋さんで時間を潰した。

その後現地に向かいつつ開演前に中に入った。入ってからどこでみようかフラフラしていたら
pk shampooのカズキとカイトが声をかけてくれた。生きてたかー!と心配してくれたのだがこれは後にも話すけど忘れないで覚えてくれる事というのはかけがえの無いものだ。そこから右後ろで一番後ろで見ていたら後ろからHue'sの龍が声をかけてくれて他みんなと遭遇した。そのまま彼らのライブが始まりじっと彼らを見つめる。

個人的に見ていてお葬式みたいな雰囲気になって欲しくない気持ちが強かった。飲みながら見ていて当時の気持ちを思い返しながら沢山拳を上げていた。"まほろば"を聞けた時や"物臭"や"good luck human"や"戦争"もだけど色んな感情が溢れたまま気がつけば"世界"が始まっていた。一瞬1秒も目を離せないくらいだったけど何より感情が色々といっぱいになった。ただ彼らのライブ見てると終わった後の直前を見てると、きっと、そんな気持ちが生まれた。

ライブが終演してから舞台裏に挨拶をしに行った時にあの時の2019年、2020年から出会ったバンドマン達が沢山いてた。懐かしい気持ちとどこかみんなちょっとした笑顔に溢れていた。
これは憶測かもしれないけどまずライブやり切った事への賞賛もそうだけどなんとなくこれは本当に終わりというのは感じれなかった。というかみんなそういうになってほしくないという気持ちの表れのように見えた。写真を撮ったり各々の色んな人と話したりしていた。沢山話したいことや謝りたかった事があって億劫になってたけど気がつけばHue'sの旭とまーしーくんと時速のしんちゃんと経堂の浜焼きに向かっていた。

浜焼きに着いてからは程々に人が来ていてそれなりに飲んだり話したりしていた。(前日寝てなくて30分くらい頬付いて寝てしまった)なんだかんだ同じ席で飲んでたけどJIGDRESS御一行とデイジーバーの金子さん達と飲んだりしてた。そういやJIGDRESSの大ちゃんさんとカワノくんと僕で一時職場が一緒で終わった後は新宿西口あたりのデイリーでよくだべってたりしてなぁとふと思い出が過ぎったりした。懐かしいな。なかなかカワノくんに思った事や感謝している事など話せず終わって自身もふわっと浜焼きを後にした。(これ以上人といると申し訳ない気持ちになってしまった)ただ帰り際にたかしこくんにどうか待ってるのでまた続けてくださいとだけは伝えれた。

レイくんと旭


---------------------

彼らのツアーに動向している最中は彼ら一人一人と話す時間があった。その中で話していくと一人一人考えてる事があった。毎日全力でライブをしていて、とにかくまっすぐ日比谷に向かって進んでいた。ツアーの最中にグッズの在庫を確認していたり、機材搬入をしている時間や終わった後に演者と話している瞬間を節々と見て感じ取れる部分があった。ツアーに携わってるチームの方々にも色んな思いを感じる部分があった。けど直接的に言葉を出さない。そんなふうに見えたんだ。

とにかく美しかった。色んな感情を持ちつつ孤高にまっすぐ全力で弾き切るレイくん、バンド感の隙間を埋めるような姿勢と綺麗なコーラスをするたかしこくん、時折見せる笑顔とテンションが上がるにつれてキレの良さと音量が増す大森くんと色んな事を抱えながながら全力で歌い続けるカワノくん。見れば見るほど美しかった。

彼らの意思を汲み取ってとにかく生きようと思えた。いつか生きていたらまた彼らのライブに足を運べるんじゃないかなとか勝手に期待をしている。何よりCRYAMYを忘れないし僕にとって一番好きなバンドなのだから。人それぞれの"CRYAMYとわたし"があるように僕にとっての"CRYAMYとわたし"がある。それは彼らが、カワノくんが一人一人真摯に向き合った事実だと思ったんだ。

またツアーの中で少なからず僕の事を覚えてくださった方々がいて嬉しかった。人に覚えてもらう、忘れないでいてくれる事がこの場所にこの時にいて良かったんだと感じれるからだ。あの時の色褪せない思い出の一つ一つ、Hue'sとしてApesとして、ドラマーとして何より人としてCRYAMYのあの4人が関わってくれた事、忘れずに変わらずに接してくれた事本当に感謝しています。生きるという事言葉にして伝えてくれた事、忘れないという事の素晴らしさを教えてくれた事ありがとう。

最後に約6年間ほど走り抜けたCRYAMYのみんなおつかれさまでした。なにより身体を労ってください。またそれぞれ会うことがあればいいななんて思っています!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?