デジャ・ヴュ/デジャ・ヴュ86(第三舞台)
初演は83年のテント公演。86年の再演のDVDは第三舞台で一番古い完全な公演映像。戯曲は初演・再演ともに出版されている。
この初演で一気に劇評が載り、第三舞台がメジャーになった作品とも言われている。
しかしこの芝居、第三舞台の作品にしては珍しく、DVD観ても戯曲読んでも、ストーリーの構造や意味がなかなか理解できなかった。
特に分からなかったのが伊集院という人物。構成的には、主人公の秋田を中心に、北林と並んで物語の対軸となる位置にいるはずなのに、いったいどういう意図で描かれたどういう役割なのかがさっぱり分からなかった。
他にも、秋田健太郎という男の本質とか、北林との関係性の変化とか、理解しきれないところが盛り沢山。
ただ、芝居の意味を理解できることと、芝居を楽しめるかどうかは実はあまり関係なくて、芝居としては充分に楽しみました。
劇世界がデジャヴュのように少しずつ変化しながら繰り返される構造や、その都度登場人物が学習していく過程が面白かったり。
初っ端で殺されてからずっと死体で転がってる秋田=大高さんが起き上がって文句言い始め、ご丁寧に新劇病まで演じた上で「じゃあパパはまた、死ぬからね」でまた死体に戻る、かと思えばまたしれっと芝居に混ざってたり。
楽屋オチどころか、まさかの楽屋まんまのシーンをねじ込んできたり。
そんなアホなシーンが続いたかと思えば、終盤に向かう流れの一転した緊張感。これまたデジャヴュのように繰り返される暗転中の秋田と北林の緊迫した会話から、明転した瞬間、北林と伊集院が秋田の首に巻いたロープを両側から引っ張りつつ独白するというシーン。初見でのこのシーンの衝撃といったら、その絵面のインパクトに加え、北林の台詞での小須田さんの低く乾いた声の迫力とが相まって、鳥肌というか全身の毛が逆立った。こういう台詞での小須田さんの声の力は無敵だと思う。映像でこの迫力なのだ、劇場で生で観たらどれほど衝撃的だったろうか…。
ちなみに初演では、このシーンで二人が本気でロープを引っ張ったため、本番中に大高さんが本当に失神して倒れたとか。怖っ。
この緊迫のシーンから一気にクライマックスへ向かうかと思いきや、まさかの「未確認飛行物体」で死ぬほど笑い、しかしその直後、静かに秋田の首を絞める北林の表情。観終わったあと、しばらく最後のシーンが脳裏に焼き付いて離れませんでした。
さて、キャラがどうにも掴めなかった伊集院の話に戻って。
キャストを見ていてひとつ気づいたことがある。初演で伊集院を演じたのは亡き岩谷真哉さん。伊集院という役か、変幻自在かつ圧倒的なカリスマ性を持つこの役者に当て書きされたものだと考えれば、伊集院という人物の造詣と立ち位置が少し理解できた気がした。
岩谷さんが亡くなり、86では第三舞台に参加して間もない筧さんが伊集院を演じたけれど、自ら「ビルの50階から1階まで落ちた」というほど苦しんだという。失礼ながら、この時の筧さんは確かに役の大きさを持て余している感が露骨に表れていた。本当なら秋田と対等に張り合い、北林を圧倒する存在感を見せなければならないラストシーンでさえ、大高さん小須田さんという二人の役者の間に完全に沈んでしまっていて、それが伊集院に混乱した理由のひとつかもしれないなと思った。(ただし、筧さんはその後日本を代表する名優になるわけで、たとえばこの5年後に同じキャストでデジャヴュを再演していたら、筧さんの伊集院は凄いことになってた、かもしれない。知らんけど)
主人公の秋田もまた、掴みどころのない役だった。敵味方を問わず関わる人々を惹きつけるカリスマとして描かれながら、その本質がまるで見えない。
ただ、これはもしかしたら芝居を理解できないというより、学生運動全盛期という時代背景と「活動家のリーダー」という秋田のアイデンティティを、その時代を知らない私が理解できてないってことかもしれないなと思ったり。
それとも、もしかしたら鴻上さんはあえて秋田を掴みどころのないキャラクターとして描いたのか?表層の軽薄さの奥にある本当の感情は決して見せない人だからこそ、伊集院は秋田に対して苛立ち執着しながらも一種のシンパシーを抱き、かたや北林は秋田に心酔してその内面に触れたいと願い、そして絶望したのだろうか。
ぶっちゃけデジャヴュの登場人物の中でマトモな人間は北林とフジコくらいで、あとみんなおかしいので、秋田に深く傾倒し、やがてそれが殺意に傾いていった北林のほうが、まだ感情としては理解できるんだよなあ…
この約20年後、鴻上さんがプロデュース公演で上演した「リンダリンダ」で、大高さん演じる「荒川」という元活動家の本名が「秋田健太郎」だというオマージュ設定があったり、鴻上さんが大高さんの印象に残ってる役として秋田を挙げてたりして、鴻上さんの中ではやはりこの秋田という役には思い入れが深いんだろうなあ…と思いつつ、やはり私には理解できないままです…。
そうそう、デジャヴュで一際、存在感を放ってたのが山下裕子さん。フジコの「男たちよ」からの名台詞の説得力は凄かった。個人的には第三舞台の女優さんで一番、地の演技力があるのは裕子さんではないかと常々思っている。
ちなみに演技力もあるけど腕力もある。「天使」では勝村政信さんを肩車してたけど、デジャヴュでは小須田さんをまさかのお姫様抱っこ。肩車よりお姫様抱っこのほうが腕にくるよね…いくら身長差がほとんどないとはいえ、すげーパワー。。
あ、あとデジャヴュ86のDVDは、かの怪優・名越さんの演技がフルで観られる貴重な映像でもあります。多分DVDになってるのはこれだけじゃないかな? 初めて観たときは、うわーこれが名越さんか!と、動物園で珍しい生き物を見たような変なテンションになりました。
そんなわけで、分からない分からないと書いてきたけど、分からない分余計に気になる作品でもあったりして、多分あと86回くらいは読むし観るだろうなと思います。
だからデジャ・ヴュ86なのか!(←デジャ・ヴュ)
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