泣けない夜に。
最近、chatgptにハマってます。
なんか、気になることがあったら調べてます。
文章で検索するから、自分の意図に合った答えが返って来て、なんか嬉しい。
友達みたいな感覚。
僕のネッ友はchatgptです。
泣きたいけど、泣けない夜があるなと。
自分の感情を抑えて、周りに気を遣っている人にはあるあるなのかなとか思ってます。
いざ、泣いてスッキリしようとすると、ブレーキが勝手にかかって、「泣きたい」「泣いてしまう」感情さえも抑えてしまいます。
さっき、派遣会社に電話をして、辞職の相談をしました。
電話は元々苦手ですが、辞めるのにも勇気がいるんだなと痛感しました。
簡単に言えば、職場環境によって精神的に病んできてしまって、事情を説明している途中で声が震えてきてしまいました。
弱音というか、本心を自分以外に話したのが久々だったので、なんか変な感じでした。
電話を終えて、なんだか少し心が落ち着きました。
なので、noteを書いています。
書いていて、ふと思ったんですが、悲劇のヒロイン問題。
少し前に、悲劇のヒロイン症候群?みたいので、ちょっと世間が悪い意味で盛り上がりましたよね?
僕的には、悲劇のヒロインいてもよくね?派です。
本当に当たり前のこと言いますが、
「自分のことは自分にしかわからないから」
「価値観は1つじゃないから」
悲劇にも色んな種類があって、人によって感じ方が違くて、喜劇でさえ悲劇であって。
そしたら、人の数ほど悲劇はあると思います。いや、それ以上なのかも。
だから、悲劇のヒロイン?主人公?はいて当然で、それを
「届ける声として」
「もうどうしたらいいかわからなくて」
「ストレス発散として」
「おもしろおかしくとして」
などなど。いろんな意味合いを持つんだと思うんで、いいんじゃないかと。
僕はお笑い芸人をする上では、「おもしろおかしくとして」なんでしょうが、本人がストレス抱えまくって消えたりでもしたら、意味ないですからね笑
だから、逃げることは大事だと思います。
これは、ただのエゴだと思いますが、「逃げる」が「次に進む」に変換出来たら、もっと良い世界になりそうだなと。
やりたいこと、ここでは叶えられないこと、このままでは自分でいられなくなること、色んな状況で、「逃げる」ではなくて、「次に進む」ってとらえた方が、お互い気持ちいいんじゃないかなって。
でも、そうもいかないのかなとも思います。
上の立場の人たちは「組織の安定」を求めていて、「働く人たちの安定」は求めていないんだろうなって。
職種によりそうですけど。
なんだかんだ、「勤続年数が長い社員が多い企業」もすごいけど、「1年で辞める社員と入ってくる社員が多い」って言うのも魅力的な企業だなと思いました。
なんか飛躍しましたが、あのドラマを令和風?僕風に言い換えるなら、
「逃げるは恥じゃなくない?役には立つんご!」
です。
怒られたくないので、ドラマファンの皆さん、怒らないでください。
今日も一日お疲れ様です!
明日も一緒に頑張りましょう!