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それは「百年」戦争か?

佐藤猛『百年戦争―中世ヨーロッパ最後の戦い』(中公新書、2020年)

百年戦争…。なんと中二的な響きでしょう。一部の人を惹きつけてやまないこのネーミング。しかし、本当に百年のべつ幕なしに戦争が行われていたのでしょうか。そして、その戦いはいったい誰(何)と誰(何)の戦いだったのでしょうか。

世界史の授業で習うものの、その内実はよく知られていない事件が、中世末期のフランスを舞台にしたこの「百年戦争」という事件。本国フランスでも有名かといえばそうでもなく、本書の「はじめに」でも、筆者とフランス人の知人との間の談としてこんなやりとりが書かれています。

「百年戦争はフランスでは有名ですか」「もちろん。でも、学校を出たら忘れてしまった」(p.ⅱ)

そう、日本でいうと、最近少しブームになった「応仁の乱」とか、「観応の擾乱」のような雰囲気でしょうか。登場人物も多く、いったい誰と誰が争っているのか、まさに麻布のごとくもつれあった複雑な経過をたどった事件が百年戦争でした。

その複雑な事件を、同時代の史料やフランスの最新の研究動向をもとに、丁寧に追いかけ、最新の学説をちりばめたのが本書です。正直なところ、入門書よりはやや固く、入門書と学術書の中間と言ったところです。(百年戦争の流れを小説的に追うならば、佐藤賢一『英仏百年戦争』(集英社新書、2003年。)がよいかもしれませんが、やや物語に流れています。)

筆者は秋田大学で教鞭を執る、中世フランス国制史研究の専門家です。研究者の手になるだけあって、実に堅実ながら、ところどころとっつきやすい軽みもあって、興味をそそる仕上がりになっています。

百年戦争は実のところ、現代のわれわれが想像する「イギリス」対「フランス」の戦争ではありません。それは、中世ヨーロッパ特有の封建制度が生み出した、実に人的な争いに端を欲した、「よくある王位継承戦争」でした。イングランド王とはいえ、元をたどればフランスに領土を抱える大貴族。イングランドでは王であっても、フランスではフランス王の臣下、という奇妙な状態が中世では当たり前でした。

その「当たり前」が次第に変質していったのが、百年戦争という長い1世紀の間であり、この時代がまさに中世の終わりに位置づけられます。それゆえ、百年戦争こそは「中世ヨーロッパ最後の戦い」だったのです。

中世から近世へ、時代の変わり目はどのような形で立ち現れてくるのか。筆者の論点はここにあると思います。

戦争が社会に与えるインパクト、という点では中世末期の百年戦争に限らず、近世における三十年戦争や、いわゆる「長い18世紀」の大英帝国が行った数々の植民地戦争など、多くの研究テーマがあります。特に、イギリス史家リンダ・コリーの「財政=軍事国家論」は、国家が長い戦争を遂行していく中で、次第に財政制度を整備し、それに伴い国家の組織や仕組みを整えていき、いわゆる近代国家が立ち現れるという理論です。

中世ヨーロッパにこの「財政=軍事国家論」を直接当てはめることはできませんが、フランスも百年戦争の中で、常態化する戦争を遂行するために租税制度が整っていき、軍制面でもそれまでの封建的軍制から「王令軍」と呼ばれる原初的な常備軍が生まれたりと、その後の時代につながる様々な制度が萌していきます。

むろん、これらの事象は現在の視点から振り返って「近代国家の萌芽」と一見して見えるものであり、当時はそのようなことを意識して制度を整えたわけではありません。したがって、制度を整えたフランスは近代に向けて一歩抜きんでた優れた国だ、という論は少々乱暴に過ぎるところです。

実のところ「百年戦争」という名称からして、19世紀の国民国家形成期に生まれてきたものであり、国民国家の視点で「英仏」の「百年戦争」を論じることは、歴史の実像を見誤ってしまう恐れがあるのです。この点を、本書は所々で読者に意識させてくれます。

百年戦争は英・仏という「国家」の争いではありません。むしろ、百年戦争を通じて「国家のようなもの」が意識され始めた、そんな事件でした。後代のことになりますが、神聖ローマ帝国を舞台に行われた三十年戦争も同様の論点があり、大変興味深かったです。

ちなみに、本書は国制史(※国政史ではありません)や法制史の視点から歴史を追いかけているので、戦術の詳述はほとんどありませんのであしからず。(まぁ、それは歴史群像あたりの記事を読んでいただいて…)

本書が出るまでは、城戸毅『百年戦争―中世末期の英仏関係』(刀水書房、2010年)が日本ではおそらく唯一の百年戦争の研究書でして、ちょっとハードルが高かったかと思います。近年の研究動向も反映した本書は、手ごろにして本格的な百年戦争についての良書でした。単に、歴史的事件の解説や人物を淡々と説明するだけではなく、それは歴史学の文脈でどのように解釈されるのか、そこまで踏み込んでいるのが、本書の特長です。(Ph.コンタミーヌ著、坂巻昭二訳『百年戦争』(白水社、2003年。)もフランスの研究者の手になる入門書なので、歴史の流れを追うにはこちらもおすすめです。)

中公新書は近年、呉座勇一『応仁の乱』(2016年)や亀田俊和『観応の擾乱―室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』(2017年)、坂井孝一『承久の乱―真の「武者の世」を告げる大乱』(2018年)など、中世史のターニングポイントでありながらも

「名前は何となく知っているけど、複雑すぎてよく分からん」

というテーマについて、立て続けにスマッシュヒットを飛ばしてきました。それは、研究者ではない人たちの中世史への関心の高さの裏返しでもあり、また、良心的な研究者による良質な作品だったことの表れでもあるのです。本書はまさに、その「中公新書の良心」に位置づけられる好著です。

ジャンヌ=ダルクが好きな方、エドワード黒太子を推す方、いやいや、デュ・ゲクランこそ百年戦争の主役よ、という方。その「好き」を入り口に、本書からぜひ中世ヨーロッパ史の沼に足を踏み入れてはいかがでしょうか。


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