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欺す、騙す、瞞す。

月村了衛『欺す衆生』(新潮社、2019年)


この記事を書いている6月18日。今から35年前のこの日、昭和史に残る事件が起きた。

豊田商事会長刺殺事件―

マスコミの目の前で発生した惨劇である。詳しくはウィキに譲るが、被害総額2000億に上るという、日本の犯罪史上類を見ない詐欺事件の顛末であった。

本書を読み、レビューを書いている日がまさにこの事件が起きた日ということに、なんだか奇妙な因縁を感じないではない。なにせ、物語の通奏低音となっているのが、豊田商事事件(※フィクションである本作には「横田商事事件」として登場する)であるのだ。

横田商事の会長刺殺の場に難の因果か立ち会ってしまった、主人公の隠岐。つましい生活の中、彼に再び横田商事の影が忍び寄る。そして、自分の意志とは裏腹に、大きな騙りの中に落ち込んでゆく隠岐。その行き着く先は地獄か、極楽か、それとも…。

作者の月村了衛は傑作SF『機龍警察』シリーズで不動の人気を得ている。一方で、最近の著作である『東京輪舞』や『悪の五輪』以降、現代に連なる戦後史の「闇」をモチーフにして、松本清張を思わせる社会派のミステリーを者している。本作もその系譜に連なる、作者の新しいステージ上での作品といえる。

『東京輪舞』や『悪の五輪』が昭和をとらえているとすれば、本書は、詐欺事件というモチーフで平成史を描いている。そして、それは言うまでもなく、「現在」のわれわれに直結している。

あらゆる利権に群がる海千山千の化け物たち。それは作者がこれまでの作品で描きだしてきたものであり、フィクションでありながら、きっとフィクションではないのだろうと思わせる怖さがある。

最近も、前法務大臣夫妻が逮捕されたり、疫病対策事業に日本屈指の広告会社が巨大な利権をむさぼっていたり、その背後には政商と呼ばれる人物の暗躍があったりと、ニュースの面に出てくるだけでも、その背後に渦まく有象無象を連想させる話題に事欠かない。

表に出てくる犯罪など、本当に氷山の一角なのだろうと、この小説は思わせる。反社会的組織も政治家も詐欺師も大企業の幹部も、どこかで一蓮托生でぐるぐる巻きになっているのではないか。そして、それが小説に描かれるフィクションなどではなく、この国の、いや、世界中どこでも、よくある光景なのではないか。そんな底知れぬ恐怖を感じる小説である。

翻って、一般庶民の平凡な生活、金はないが、波乱も罪の意識も感じずに一生を過ごせることの有り難さを感じる作品でもある。

事実は小説より奇なり―

本書に描かれる裏の世界よりももっと深い闇が、今の日本のどこかで、一般庶民のあずかり知らぬところで口を開けているんだろう。そして、一歩誤れば、その闇に取りこまれやしないだろうかと、不安になるのだ。

しかし、この小説のストーリーテリングの面白さ、これ、主人公どうなっちゃうの、というハラハラさ。エンターテインメントして最上級であると同時に、現代日本の「業」を告発する社会派である。

衆生とは、生きとし生けるもの、一切の生物を意味する仏教用語だ。この意味を考えたとき「欺す衆生」という本書のタイトルの重さに気づく。

生きとし生けるものはすべて、誰かを、何かを欺して生きているということ。それはまさに生物の業なのである。欺される側も誰かを欺している。その欺の連鎖こそが、世界を形作っている。

そう、世界は欺しの上に成り立つ蜃気楼なのだ。

小説という虚構こそ、その真実を我々の前に突き付ける。それは小説にしか渡せない引導だ。

小説が虚構なのか、我々の世界が虚構なのか―

その境目は杳として知れない。




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