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Who I amをさぐる旅vol.1 〜生まれ育った土地の「穏やかさ」〜
「Who I amをさぐる旅」、vol.1は僕の生まれ育った土地について書こうと思います。
僕は日本国籍で、出身は福島県、人口数千人の山と田んぼに囲まれた小さな田舎町で幼少期を過ごしました。
最寄りの電車の駅までは車で30分、近くにスーパーはなく、コンビニは数キロ先にある、そんな場所です。
少し調べてみると、(もちろん諸説あったり地域差はありますが)、
福島県民の県民性には、「情に厚い」、「郷土愛に溢れた」、「閉鎖的」などがあるようです。
(↑これは少なからず、幕末の会津藩の教えや震災のことも関わってくると思うので、詳細はまた別な機会に書こうと思います。)
この県民性のワードを見て、なんとなく思い当たる部分もあるような気がします。
(人口が少ない地域に共通しているのかもしれませんが)近所の人との距離感?が近く、(大人の方々は)顔と名前はもちろん、家族構成や職業、親戚関係、その子どもが何年生で、どの高校に行ってて、どんな職業に就いているのかなどなど、いろんなことをお互いに知っている、そんなコミュニティです。
あと、福島県について調べていてたまたま見つけたのですが、県内の障害のある方の実雇用率は日本全体で下から数えた方が早い位置なんだとか。
(障害者雇用に携わる仕事をしている立場としてはちょっと残念。。。)
僕は中学卒業までの十数年間をこの地域で過ごしました。
実家を出てからは、県内の別な地域、新潟、海外、東京と複数の場所で過ごしていますが、それらと地元を比較した時に感じることは、「時間のながれ」の違いです。
(これは決して早い方が良いとか、ゆっくりだと良くないとかそういうものではないという前提で)僕の地元はすごく時間の流れがゆっくりだなと、家族や近所の人との関わり、触れる情報も含めて体幹として感じています。
きっとその時間の感覚が、県民性である情の厚さやコミュニティ内の親密さ、地域全体としての穏やかさ、みたいなものにもつながってくるのかなと。
そして僕はこの「地域全体としての穏やかさ」にすごく恩恵を受けているのかなと、今振り返るとすごく思っています。
詳細はまた今度書きますが、幼少期から視覚障害がある(社会的に障害者と呼ばれる側面をもつ)僕が、地域の保育園、幼稚園、小学校、中学校と、障害のないとされる子どもたちが多数派の環境で保育、教育を受ける上で、この時間のゆっくりさからくる「地域全体の穏やかさ」は、僕が自分自身を過度に(劣っている存在としての)「障害者」と認識する(させられる)機会に直面する(スティグマを経験する)頻度を少なくしていたのかな?と思っています。
もちろんそれは地域全体の穏やかさだけで成り立っていたのでは決してなく、家族、学校、県の教育施策、僕の特性などなど、様々な要因が作用した結果なので、これも少しずつ紐解いていこうかな。
そんな地元ですが、数年前から実家に2匹の新しい家族(わんちゃん)ができたので、僕は帰省する頻度が増えました。笑
次は福島県の歴史のことか、小学校での経験、もしくは家族のことについて、書きたいものを書こうと思います^^