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父の逝去と母の褥瘡ステージⅣ

2月になりましたね。1月はあっという間に過ぎて行ってしまいました。

というのも、11月から意識不明のまま入院していた父が15日に亡くなり、お葬式やら相続手続きやらに追われているからです。手続きはまだまだ続きますが・・・。

人1人亡くなるだけでも大変なのですが、施設にいた母の褥瘡(床ずれ)を発見してしまいました。それもステージⅣで褥瘡ポケットができていて骨まで見える状態で私は少しパニックになりました。

というのも、父の葬儀にため一時帰宅のため、母を実家に連れて帰ってきた時に発見したのです。褥瘡ができていたのは聞いていました。とはいうものの少し赤くなっている程度だと思っていました。父の亡くなった日、施設に迎えに行った時、看護師から「ガーゼを変えておいたので3日くらい大丈夫です。」とは言われていました。

父が亡くなって遺体を病院から実家に連れて帰ってきて、久しぶりに家族3人で過ごす夜を過ごしました。私は、その夜は母の寝返り補助もあったので全く眠れることはできませんでしたけれど。

母の世話に自信がなかったので、次の日、介護士であるいとこに頼んで来てもらいました。朝、母のおむつ交換を初めてやってみたのですが、お尻の割れ目の上の貼ってあったガーゼが茶色くびしょびしょだったのが気になりました。

いとこが到着してから、うまくオムツを着けられなかったので、交換とガーゼ交換を頼みました。その時、褥瘡の傷を見たいとこは「これが入院レベルかも。こんなひどいの見たことない」と発しました。そして私はその傷を見た瞬間、ショックで涙が溢れ出てきてしました。葬儀屋とは父が亡くなった日の晩、遅くまで打ち合わせをし、明後日に葬儀を計画していたので、準備もしなくていけなかったのですが、かかりつけ医に電話して「どういうことだ、入院できる病院を探してくれ」と伝えました。電話口の出た人は「病院でも褥瘡はできますし」とかいろいろ言ってましたが、探してもらうことにしました。探してもらっている間、私は相当パニックで、看護婦の友人や医者の知人などに、電話しまっくってました。

そして結局かかりつけ医が、大きな救急病院を予約して母を連れては行きましたが入院には至りませんでした。最初の皮膚科で診てもらってのですが、これはひどいのでということで形成外科に診てもらったのですが。

形成外科医も言葉を選んで丁寧に説明してもらいましたが、介護士のいとこや、友人の看護師、病院から電話した在宅時のケアマネからも、施設で過ごしている患者でそんなひどいの見たことないと言われ、私は怒りと悲しみが込み上げて来ましたが、その時は父の葬儀を優先しなくてはと思い、母の葬儀の参列が見送り施設に戻すことにしました。そして葬儀の日、かかりつ医のソーシャルワーカーから皮膚科に先生に診てもらったが、入院させる方針の連絡をもらい、葬式を終えた6日後に母は入院となったのでした。褥瘡で入院というものも、なかなか受け入れ先が見つからず大変だったようですが。

そんなハプニングの中、私は喪主して父の葬式をなんとか行えたのは自分でも偉かったと思います。まあ夫の事前の下調べや葬儀屋の手配などには感謝していますが・・・。

※写真は父の遺品

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