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天変地異がもたらすのは、決して悲しみだけではない

「武漢日記」を読んでいます。

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この本は、今回の新型コロナウィルスの発祥地と言われる中国・武漢において、封鎖令が実施されてから解除されるまでの60日間(2020年1月25日から3月24日まで)、ある武漢市民が発信し続けたブログ記事が書籍化されたものです。

封鎖下における日々の生活への不安、人々の励まし合いや助け合い、政府への不満などが書かれており、リアルな心境が伝わってきます。

また、以下の記載からは中国におけるブログ発信の難しさが伝わってきます。

この投稿が公開できるかどうかはわからない。もしこれを読めた人がいたら、ぜひコメントをして、無事に公開できたことを知らせてほしい。ブログには特殊なワザがあって、投稿したつもりなのに誰も見ていないという場合がある。そのワザの存在を知って、私は悟った。ハイテクが悪さをすると、伝染病よりも恐ろしい。
おととい、私のブログの文章が遮断された。私が予想したよりは長く生きながらえたと思う。
今日のこの文章も削除の対象だろうか?


時には以下のように、ブログ記事の中で検閲官に直接語りかけたりもしています。

親愛なるネット検閲官に言いたい。少しくらい、武漢人に話をさせるべき ではないか。口に出せば、心はずいぶん軽くなるはずだ。私たちはもうここに一〇日以上も閉じ込められ、たくさんの壮絶な出来事を見てきた。


そうした日記の中で、2月15日、著者が以下のようなことを書いています。

平和な時代は、平凡な生活、平穏な日々が続き、人間の善意も悪意も表に出てこない。ときには、そのまま人生が過ぎていく。
けれども、戦争や災害などの非常時には、善意と悪意がどちらも表に出てくる。まったく考えもしなかったことを目にする場合もある。人は驚き、悲しみ、怒り、そして慣れていくのだ。
幸い、悪意が表に出るとき、善意はそれに対抗してもっと強く出てくる。それで、私たちは初めて何も恐れない無欲の人、己を捨てて他人のために尽くす人、そして英雄を見ることができるのだ。私たちがいま目にしている白衣の天使のように。


非常時に湧き出てくる善意。

阪神大震災の時の記憶が思い出されます。

当時、私は学生でした。

私が通っていた学校は、神戸市内でも最も被害の大きい地域にあったため、数か月間の休校を余儀なくされました。

学校は避難所になり、体育館は遺体安置所になりました。

迎えた久しぶりの登校日。普段とは違う登校ルートで、帽子を被って登校したのを覚えています。(不意の落下物から頭部を保護するため、「全員帽子を被ってくるように」との学校からの連絡があったのでした。)

友人たちと久々の会話を交わす中、同級生の一人が休校中に学校に来て、水を運んだり掃除をしたりしていたという話を聞きました。

それを聞いて皆、驚きました。

これまで経験したことがないような混乱の中、わざわざ学校に来て、自分にできることでボランティアをしていたのでした。

「あいつ、そんな一面があったのか」

普段の生活では分からないだけで、英雄はすぐ近くにいる。

まさに、隠れていた善性が表に出てきた瞬間でした。


東日本大震災や熊本の地震も、多くの悲しみを生みました。

しかしその中において、ボランティアの方々が炊き出しをしたり、自衛隊の方々が救出作業をする姿がありました。国を超えて海外からも復興作業に従事される方々がおられました。

暗闇が深くなった時こそ、光もまた輝き出す。

天変地異がもたらすのは決して悲しみだけではありません。

この分かち合い、助け合いの姿に、私は人の本来の力というものを感じます。


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