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全ては与えられたもの、そして、いつかはお返ししていくもの ~鬼滅の刃に学ぶ~

(本記事は「鬼滅の刃」に関するネタバレ情報を含んでいます。)


「鬼滅の刃」には、自分の身を犠牲にしてでも誰かを助けようとするシーンがたくさん出てきます。

刀鍛冶の里において小鉄が無一郎を助けようとして、無一郎が閉じ込められている水獄鉢に息を吹き入れるシーンしかり。

朝日が昇る中、上弦の肆・半天狗を止めるために、禰豆子が炭治郎を蹴り上げるシーンしかり。

そして、無惨との最終決戦において炭治郎が鬼にさせられた時、炭治郎を助けるために栗花落カナヲが「終ノ型・彼岸朱眼」を使うシーンもそうでしょう。


「彼岸朱眼」はとてもリスクが大きく、使うと失明する可能性が大きい技。

カナヲは童麿との戦いで、この技を既に一度使用しており、右目をほぼ失明しています。

再び使えば、今度は左目も失明することになるでしょう。

しかしこの時、カナヲは以下のセリフを言ったのでした。

「私の目を片方残してくれたのは このためだったんだね 姉さん」


孤児だったカナヲは、かつて胡蝶姉妹にその身を救われています。

そうして蝶屋敷にやってきた当初、カナヲは家事や怪我人の治療に従事したものの、あまりお役に立つことはできませんでした(19巻・第163話の大正コソコソ話参照)。

そんなカナヲが自分の得意なものを見つけた。それが「剣の道」でした。

体幹は優れていたかもしれませんが、基本的には細身の女性。男性的な屈強な身体を持っているわけではありません。

そんなカナヲの強さの秘訣は、優れた動体視力でもって相手を観察し、行動を読む力にありました。

観察力が自身の強みであることは、カナヲ自身もよく分かっていたはずです。


そのカナヲが、残された自身の左目の視力をも投げ出そうとします。

自分の才能、長所、人のお役に立つことができる能力。それを誰かのために手放すということ。

カナヲは全くためらいませんでした。

それどころか、むしろ「私の目を片方残してくれたのはこのためだったんだね」と言ったのでした。


命も才能も、全ては与えられたもの。

自分に与えられた命や才能でもって誰かのお役に立ち、そして遅かれ早かれ、その命や才能をお返しする時が来る。

以前、上皇后美智子様について、以下の記事をお見かけしたのが思い出されます。

乳がん治療のために手術を受けられ、その後、ホルモン療法のためか、長年好まれたピアノ演奏に支障をきたされた、とのこと。

このとき、ピアノが弾けなくなったことについて、以下のように仰られたのでした。

「できなくなったことはお返ししたもの」


自分が持っている能力、才能。今、自分が宿っている身体。

それを自分のものだと思うから、当たり前だと思うから、失った時に不幸感覚が生まれるのではないでしょうか。


自分の視力や声、聴覚、味覚。

筋力、体力。

文章を書く力、絵を描く力。

物事を考える力、感じ取る力。

そして、今、生きている命。


全ては与えられたもの。

その力を使って、誰かのためにお役に立つ。

そして、いつかはお返ししていく。


「私の目を片方残してくれた」


失ったものを嘆くのではなく、残されたもので何ができるか。

栗花落カナヲのこのセリフには、そのような思いが込められているように感じます。


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