パラレルワールドが生まれるのだ(中華屋にて)

レバニラが食べたい。もう、完全に、レバニラを迎え入れるための口になっているし、レバニラの全栄養を吸収するための体になってしまっている。一刻も早くレバニラを摂取しなければ。そんな日曜の昼間(寝起き)。

レバニラで米をかきこむ幸福な未来を想像しながら、十分ほど原付を走らせ、吸い込まれるように駅の近くの中華屋へ。
カウンター席に腰を下ろし、水をひとくち。レバニラ定食を注文することは決定事項なのだが、とりあえずメニュー表には目を通す。
だが、これが大きな間違いだった。メニュー表にひっそりと書かれた『チャーハン』の文字が、なぜか煌々と発光し始めたのである。
いやいや。私はレバニラが食べたくて、レバニラを食べるためにこの店に来たのだ。余計なことは考えるな。
しかし、その意に反してチャーハンの文字は光を強めていった。
チャーハン。チャーハンが食べたい。レバニラを食べたくなくなったわけではない。この時、私の脳内では刀を手にしたレバニラとチャーハンが熱い鍔迫り合いをしている真っ最中であった。

これを読んでいるあなたは思っているであろう。そんなもの、両方頼めばいいじゃないかと。ダメだ。それは許されない。レバニラの真価が100パーセント発揮されるのは白米とペアになったときなのだ。レバニラを頼むのなら絶対に白米を頼まなければいけないのだ。最大の力を出し切れないレバニラを食べたくはないのだ。だからと言ってレバニラも白米もチャーハンも全部注文するような無粋な真似はしたくない。そんなに食べられないし。どちらかを必ず選択しなければいけない状況だ。こうなるともうどちらを選んでも思い残すことになる。メニュー表なんか見ていなければ。

数分思い悩み、私は結局レバニラ定食を注文した。まあ、レバニラを食べに来たのだから。それはもうめちゃくちゃにうまかった。レバニラ欲求は無事に満たされた。しかし、当然チャーハンに対する思いは持ち帰ることとなった。

レバニラか、チャーハンか。大いなる選択によりパラレルワールドを誕生させてしまったわけだが、チャーハンを選択した方の私は、レバニラを選択した私よりも幸せだったのだろうか。今の私のように『もしレバニラを選んでいたら』と物思いに耽りながら文章を綴っていたりするのだろうか。
そんなこと、どうあがいたって知りようがないのに、どうしても考えてしまうのが弱い人間の性である。

しかしながら、もし知る術があったとして、知ることを私は選ばないと思う。知ることができないからこそ人は前を向けるのだから。自分の下した決断が、正解か不正解かなんて誰にもわからない。『きっと正解だった』と思い込める余地があるからこそ、そこに光を見出すことができるのだから。

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