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完璧な親なんていない

先日、息子の子育てについての記事を書いてみました。発達障害のある息子の今の様子と、僕たちの親としての葛藤をありのままにつづりました。

最近思うのは、「子どもたちに向き合うということは、自分の未熟さに向き合うことでもあるなぁ」ということです。未熟な部分に向き合うのは誰しも勇気がいります。なかば強制的に向き合うことになるのだから、つらさもあったりします。

でも、子どもたちがいてくれて本当によかったし、今となってはいない生活なんて考えられないです。

今日は「子どもの日」。あらためて自分に、そして子どもたちに向き合う機会にしようと思います。

ある日突然親になる

僕たちも含めて、世のお父さん、お母さんは初めて子どもが生まれた瞬間に突然親になります。生まれてくることは分かっていて、気持ちの準備はできていても、実際に生まれてきて急に親である自分を自覚するようになりました。

「親とはこうあるべし」なんて基本的には誰からも教えてもらうことはありません。仮に教えてもらっていたとしても、おそらくほとんど意味がないだろうと思います。

子どもたち一人ひとりまったく性格も特長も異なるし、結局は体当たりでやってみながら学んでいくしかありません。大泣きする我が子に大慌てし、ちょっとしたことで一喜一憂する。

突然親になったその日から、多くの感情を持っていかれます。

そうやって過ごしていく中で「お父さん」「お母さん」という今までの自分とは違う人格が形成されていきます。子どもが言葉を話せるようになり、「お父さん」「お母さん」と呼ばれると、より一層親としての自分を意識するようになっていきます。

期待があるから押しつけてしまう

「お父さん」「お母さん」という人格は少しやっかいで、いったんダメな自分を棚上げしてでも、まだ小さな子どもたちのために「しっかりしている」自分を作っていきます。小さくて弱い存在を必死に守ろうとします。

子どもが生まれた瞬間から親は一方的な期待を抱くようになります。「こんな風に育ってほしい」というやつです。時々この期待が邪魔をします。そんな思う通りに育っていくわけないのに、思うようにいかないことがあると子どもを叱ってしまったりします。

親としての期待を押し付けようとしてしまいます。押し付けて反発されると、期待を裏切られたような気持ちにすらなってしまいます。

うまくいかないことがあると悩み、自分たちを勝手に責めてしまうのです。僕たちも長男が生まれてから、勝手な「期待」とそのギャップに随分苦しみました。いやいや、進行中です、、、

完璧であろうとしなくていい

そもそも「しっかりしなきゃ」と親として完璧であろうとする必要はまったくないんだと思います。理想像を自分で作り上げて、そうなれないことに苦しんでいる方がなんと多いことか、、、

ここまでにも書いたように、親というのは子どもたちが生まれた瞬間に突然出来上がる人格なのです。子どもと一緒にその人格も育っていきます。いきなり完璧なんてありえないのです。「完璧な状態ってどんな状態?」と思います。親も一人の人間です。子どもと一緒に成長していければいいのだと思います。

大事なのは子どもたちを信じることです。期待を持つこと自体は悪いことではありません。ただその期待が過剰になり、僕たち親自身が苦しむことになっては本末転倒です。

子どもは自分で学ぶ力をたくさん持っています。日々生活の中から刺激を受けながら、大きくなるにつれて興味を持つことがきっと出てきます。それが多少「こんな風に育ってほしい」という期待と違っていたとしても、一緒に悩み寄り添うことが親の役目なのだと思います。

僕が自分の親に感謝していることは「こうしなさい」「こうありなさい」という要求を一切されなかったことです。進学、就職、結婚といった節目節目の決断をすべて自分でさせてもらいました。

「あなたの好きなようにしなさい」と本心で思えるまでには時間がかかるかもしれません。ありのままの自分をさらし、未熟な自分も受け入れ、前を向いて歩んでいくこと。

きっと子どもたちは、そんな「お父さん」「お母さん」の背中を見ています。


、、、

ちょっとだけ力を抜いて子どもたちに向き合ってみませんか?明日から少しだけ違う景色が見えるかもしれません😊

僕たちも頑張ります。


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