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『介護するからだ』を読んで

細馬宏通著 医学書院 2016年出版
 細馬宏通さんの書籍。在学中に、細馬さんがマンガにまつわるシンポジウムに登壇していて、彼の研究がとても面白そうだと思って、この人、どういう研究やって、本を書いているんだろうか、と気になって、読んでみた。

 介護施設に潜入してビデオを回し、その介護士や介護される人の動きに注目して観察を続ける。すると、いろんなことが分かってくる。

 例えば、学生が介護の手伝いをしにいったら、1時間かけて食べさせた人が、介護士とだと15分で終わる、という状況で、ビデオで観察してみたら、微妙な動きを発見する。食べたくないときに閉口してしまうんだが、その前に、微妙に体全体を椅子の方へと下げる様子がある。すると、すかざず、介護士の人は、箸を引き離す。そして、お茶を差し出す。すると、下がったからだが前に出る。その繰り返しをやっていた、という。わずか秒以下コンマの話なのだが、細馬さんの観察力がすごい。以上の動きをさっと理解して自然にやっている介護士の人もすごいな、と思った。

 また、認知症の人は、スキーマが分からなかくなるという。お盆持ってきて、と言われれば、親スキーマである「お盆を持っていくこと」で頭がいっぱいになり、立つことをするために、手をついて立つという子スキーマがすっとんでしまい、お盆を手に持ったまま、立てなくなるということが起きる、ということ。若いときはなんでもないことなんだけど、年取るとこういうことができなくなるのか、と改めて思ったのと同時に、人間の脳って謎だなと思った。

 ようするに認知の問題なのである。精神科も認知行動療法などが認められるようになったように、認知の問題は昨今の私たちの生活に意識せざる問題として横たわっている。

 例えば、アイマスクをしてナビゲートする。ペアによるこの歩行は単にナビゲーターがアイマスク役の認知を補う行為ではなく、お互いの認知の違いを発見しながら、お互いをナビゲートする行為なのだということがわかってくる。目が見えなくなった方の補助という考え方ではなく、ナビゲートする方の認知のあり方も問われる。

 また、最後は心の問題に踏み込む。

こちらが相手の出しているさまざまな手がかり、たとえばちょっとした視線や姿勢の変化、手足の動きを見逃しているのが、問題だとしたらどうか。相手の心のなかがどうであろうと、まずこちらの問題だと考え、相手に心を見出していくための、いままで気づかなかった手がかりを考えることからまず始めることができるだろう。

p.  229

 細馬さんは、普通なら気づかないこと、見落としてしまうことを見つけることが本当にうまい。そこから研究が始まる。相手の心というものも、動き、表情などからうかがえる。介護というものは、本質的にそういった観察が重視される職業なのかもしれない。

「心の理論」については、すでに多くの先行研究があるけれど、一つ気になることがある。その研究の多くが、相手の行動にもとづく、一方的な思考的な推論を扱っていることだ。では、片方がただ一方的に相手のことを推論するのではなく、お互いに相手の次の行動を推論し合う場合には何が起こっているだろうか。

p.  239

 一方的な推論は日常的に起こる。そこで齟齬が生じる。相手のことは分からない。分からないということが下地にないと、「心」というものが何でも見えて察知できるものと捉えてしまいがちになるだろう。そんなことを考えた。



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