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日記文学について考えるーー高山なおみ著『日々ごはん 1-12』を読んで

 高山なおみの『日々ごはん』の一巻目を始めて読んだのは今年の一月だったのだが、そこから毎回図書館に行く度に一冊ずつ借りてきて、こつこつと12巻すべて読み切った。早く最近の発売された本までたどり着きたい。最近のブログの日記を読んでみようとは思ったけど。

 途中8巻目くらいでいや、わざわざこの本を全部読む必要はないのではないかい、とふと思ったが、活字を目で追うという行為をするのにちょうどよい本だと思った。
 
 以前、私が働いていた図書館の児童書のコーナーに「子育て」という子どもを連れてきた親がちょっと見られる特別本棚が設置されていて、そこにこの『日々ごはん』のシリーズが置いてあった。まさに、子育て中の親がちょっと読んでみるにはとても良い本。ナイス選書、と思った。

 結局、12巻全部読んで思ったのは、日記文学ってあるんだな、ということ。記録が文学として成り立っている面はある。高山なおみさんの生活についていろいろ考えたこともあるが、半分くらい読んだところで、彼女が書く文体がつかめてきて、読み慣れた感があった。確かに、8巻目くらいまでは、一人の人物が毎日文章を書き続けるということは、結構文体も変わってくるんだな、とか思いながら読んでいたんだが。

 もちろん、毎日の記録を読んでると、彼女の私生活についてもつかめてくる。特に後半から、高山なおみさんが出張しているときに書くだんなさんであるスイセイさんの留守日記も頻出するので、全巻読み終わるころには、スイセイさんと高山なおみさんの夫婦関係が目に見えるような気がして、ある夫婦の記録を読んでいるような気持にもなった。

 結局何年分の日記を読んだんだろか。最後の12巻まで読んだらとても、時間の流れを感じた。

 「料理を作る人に向き不向きがあるとしたら、それは、ケチかケチではないかということのような気がする。ケチな人が作った料理はおいしそうな気がしない。ケチでない人というのは、人に対して「ふるまう」とか「あげる」精神が強い。自分の所には何もなくなっても、つい人にごはんをふるまってしまう、というような。それは私のことだが、平野レミさんもそうだ。」『日々ごはん 6』p. 127-128

 いろんなところに気になる箇所はあったが、こういう言葉が料理家としての彼女の思想みたいなのが、透けて見えるような気がした。

 あと、フリーランスで働く女性が日々どんな生活しているのかも、うかがえたような気がする。仕事が不定期で、すごく忙しいこともあれば、平日になんにもしない日ができて、一日中読書にふける。二日酔いで寝込むこともある。長い無職生活を送っていた私は、この本を、そういう仕事の仕方ってあるんだな、と思いながら、読んでいた気がする。無職生活のよきお供だった。


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