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【読書感想】韓国文学の文体ークォン・ヨソン著『まだまだという言葉』を読んで

クォン・ヨソン著 斎藤真理子訳 河出書房新社 2021年出版

 韓国の短編集。期間制教師の話では、非正規雇用で短期だけ学校に勤めることになる人の様子が書かれてて、やはりこの制度って日本でも韓国でもひどい制度だな、と思ったし、家族の埋葬の話では、父親と母親の死後の遺体をお骨にして一緒にしようと試みる兄弟の話が書かれていて、韓国の家族の絆を感じる作品となっている。どれも、韓国の文化的背景がよく分かる作品で、文体がとても落ち着いて静かな雰囲気が漂っていて、読了後しっとりした気持ちになった。

 韓国文学の翻訳を読むようになってから、こういう文章書けるようになるといいな、となぜか韓国文学に対して思うようになったんだけど、それは翻訳でこういうこと思うってなんなんだろ、とすごく不思議な気持ちでいる。斎藤真理子さんの翻訳が良いからなんだろうか。韓国語勉強してその謎に迫りたいと思っているが、勉強はなかなか捗らず、とりあえず、翻訳いっぱい読んで考えてる。

 最後に収録されていた「アジの味」という短篇はとても興味深い作品だった。声帯嚢胞の手術を受けて声を出すことが禁じられている昔の夫と、再開して、喉を気にしながら夫がぽつぽつと、発せられる言葉について、今まで普通にしゃべれるときと価値観変わったという話をする。普段私たちが会話する言語のなにげない言葉についての描写が面白かった。「俺だけの言葉」がほしかったといい、手話に興味を持ったり、自分で手話のような言語というものを持つようになる。それが、ふと、窓の外を眺めるしぐさであったりする。言語って、そもそもそういうものだったんじゃないか、と思った。人に伝えるための言語というよりも、自分だけの言語。

 よく、人間はなぜ言葉を話すようになったか、と問われると、まず初めに歌があって、人に歌うために言葉を用いるようになった、というけど、私はそのロマンチックな話が好きになれなくて、むしろこの小説に書かれているように、自分だけの言語を持つようになったのではないか、のほうが、言葉を持つ理由が分かるような気がした。

 私は、なんだか、言語障害とか抱えているわけではないが、いつも、言葉に不自由さを感じてる。母国語でも違和感があって、スラスラ話すには話すが、これをなんと言葉にしたらいいんだろ、とよく考える。書くという行為はそれの練習だと思っているけど、なかなかうまくいかない。こういう言語の葛藤っていつまで続くんだろ。確かに、日々、noteに書くことを続けていると、慣れることは慣れる。けど、本読んで生じた気持ちとかどう言語にしていいんだろうな、と考える日々である。人は言語を使ってモノを考えてるとは思うけど、感じること、気持ちなどは自然に発生することで、そういった現象と、言語を接続することが難しい。

 この小説読んで、そんなことを考えた。


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