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【読書感想】『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』想田和弘著を読んで

想田和弘著 講談社現代新書 2011年出版

 想田さんがドキュメンタリー映画監督だということは知っていたが、作品は観たことがなかった。けど、この度ニュースで夫婦別姓の問題について取り組んでいるのをみて、どんな人なのか知ってみたくて、本を借りることにした。

 タイトルの通り、想田さんがどんなドキュメンタリー映画を撮っているかについて詳しく書かれている。

 この本の始めから終わりまで取り上げられている「Peace」という映画を読了後に観てみたが、この本に書かれていたこととほとんど大差ないドキュメンタリーで、この方はきっと言葉で説明するのがうまい人なんだな、と思った。観察映画とはなんぞや、ということについても、自分の作品を通して、とても細かく説明してあって、観察映画がナレーションや音楽を入れない説明しない映画であるのとは逆に、言葉がかゆいところにもすべてに行きわたっている文章を書く人だ。もしかしたら、そういう映画をとるスキルがあるからこそ、説明がうまいのかもしれない。なんていうんだろう、映画を観てて、その書いてあることが伝わらない部分が全くなかった、というのはおかしいのだろうか。

 そもそも彼が撮る観察映画は台本も事前にこういうのを撮りたいというのもなく、ただ、じっとカメラまわして観察して、その中で、良いと思ったとこを編集して一本の映画にしていく、という方式らしいが、作り手の押しつけがましい主張とかがなく、映像としてすっと入ってくるというか、とても素直に作品を鑑賞できた。近頃テレビを観ていても、ニュースなどでさえも、作り手の意図するものとかを考えてしまって、偏ってるなーとか思ったりしてて、映像に興味ないな、と一時期思っていたのだが、彼の観察映画にはそういう作り手が盛り上げて構成するメッセージのようなものが託されていなくて、だから、終わった後、だからなんなんだ、といったような感触が残る人もいるかもしれないけど、観た後に不思議なすっきり感が私にはあった。

 「観客を信頼する」こと。本に書いてあったが、想田さんの映画は、撮っている想田さんと、撮られている人との関係性が近くに感じるのと同時に、観客との近さのようなものも感じる。

 「報道系ドキュメンタリーの特徴は、客観・中立・公正をモットーに挙げる場合も多い」「観察映画は客観主義を採用せず、語り口は一人称、つまり主観である」というように、客観的というか、一人語りというのをもろに感じる作品なんだけど、その主題に対しての判断を観客に委ねられているように感じる。というか、最近どのテレビも、客観、中立的な報道番組なんてないじゃん、と思うんだけど、彼の観察映画は、客観的ではないが、一人語りが、大きなメディアというものではなく、彼の等身大の視点が映し出されていて、主観的だが、それが観客を強要するものではない。

 「映像には(...)言葉の呪縛、つまり固定観念を乗り越えられる可能性がある」といっているが、この本を読むと、彼は、言葉の呪縛、固定観念というものを持たずに「みたまんま」を映像に収めているように思った。映像は「みたまんま」に決まっているじゃないか、と思うかもしれないが、そうでもないということを、改めて、彼のこの本と映画作品をみて、意識するようになった。


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