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【読書感想】村上龍著『歌うクジラ』を読んで

村上龍著 講談社 2010年出版

 好きな作家は?と聞かれると、山田詠美と村上龍と答える。1年前に就活の面接でそう答えたけど、村上龍は最近の作品読んだことないな、と思って、今回この2010年に出版されていた小説を読んだ。

 近未来の日本が舞台で、読み始めから心拍数が上がる小説である。始めから超高速で物語が展開し、ドキドキが止まらん。近未来と言っても、最終的には宇宙にまで舞台がうつり、結構ぶっ飛んでる。

 アキラという青年が、父親に託されたICチップを届けに、ヨシマツという人物に会いに行く。それまでに、サブロウさんやアンという同世代の人にあって、一緒に旅するんだが、その設定が、本当にありそうな日本の未来で、途中これはどこから未来の日本として考えて支障がないんだろう、と考えてしまう。というのも、ありそうな事実をもとにしてSF的ともいえる展開になっているので、とても、起こり得ることのように考えられるからだ。性犯罪を減らすために女性に発情期を作ろうと思って実験をする、上層の人間は不死の命が与えられる、文化経済効率運動のため、あらゆることが規制されて棲み分けられている、などなど、いや、冷静に考えてみたらこんなこと起こりうることないんだけど、なぜかとても現実味がある。炭素繊維出てきた衣類などは、エヴァンゲリオンとかああいうイメージなのかな、とか考えたり、アキラという青年が自分が生まれ育った島では抹殺された言葉が出てくると、妙に抽象的で人間が生きていくうえで人間らしいと思えるような言葉だな、と感じたり、この小説のなにかが、とても現代の日本に結びついていて、どこか現実になるんじゃないかと思える。

 ネタバレすると最終的にヨシマツという男に会うと、アキラを育てた父親は生物学上の父親ではなく、与えられた使命も全部ヨシマツがあらかじめ準備しておいたことだということが知らされる。その時のあっけなさは物語が父の遺言に基づいて青年が旅に出るといった冒険譚から逸脱してしまう。「生物学上の父親と母親を、子どもは選ぶことができない。だから、誰が生物学上の親かということは大して意味がない。誰の精子と卵子によって生を受けたかより、生まれたあと誰に出会うかということのほうがより重要だ。」p. 354 とアキラは最後に思う。村上龍の作品は最後がバッドエンドでいつも後味悪い、と友達がいうのを聴いたが、この小説はそんなことはない。最後の終わり方が、結局、旅を途中までした仲間、サブロウさんやアンにもう一回アキラ助かって出会うといいな、と読者は思って終わるだろう。

 しかし、村上龍の性的描写は強烈である。読んでいると辛くなるというか、変な気持ちになってくる。死と性が交差している場面は読んでいて胸のどこかがざわつく。興奮するというのでもなく、性的欲望を持っている人間が怖くなるというか、人間というか「自分が」怖くなる。それが肉を食うグロテスクな描写に結びつけられていて、ほんとに読んでて具合悪くなる。こういうのを書かせたら村上龍よりすごい人はいないように思う。


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