「刺す」より「残す」言葉を
「死は人類最大の発明である」
Facebookでも投稿したけど、最近階段から落ちそうになった
少しだけ、「死」に近づいた。そんな経験をすると、今までに何か残せたのかを考えてしまう。だからこそ余計に、ブログで言葉を残したくなる。久しぶりに記事を投稿してみよう。暇つぶしくらいに読んでくれたらいいな
コロナウイルスの影響で、周りにはやる事がないと嘆く人が増えたけど、なぜか自分は前までの3倍は忙しくなってる。学生インターンを始めたからだろうか?
自分がお世話になっているインターン先は、一般社団法人Code for Japan。シビックテックの活動に間近に触れてみたかったのと、これからの市民のあり方に一石を投じられると思ったから参加した
実際に参加してみてわかるけど、何もかもが早い。早くて目が回りそうで、本来やるべき研究活動もいつの間にか疎かにしてしまう程。自分のペースをもって活動を続けていくには時間がかかりそうだわい。
活動の一環として最初に任されたのが、Code for Japanが主催しているイベントの記事を書くこと。イベントが終わって1週間もかけて書いたけど、読者のターゲットが絞れずに修正をくらう。「刺さる言葉」をタイトルとリード文に書くことをアドバイスとしていただいた。
それから考えた。「刺さる言葉ってなんだろう?」
今まで刺さった言葉を聞いたことがなかった。けど、「残る言葉」なら聞いたことがあった。
それは大体、今までの経験を繋げてくれる言葉。昔聞いてもわからなかったことが、後になって繋がる言葉。例えば
「子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患うるなり」
他人が自分を認めてくれないことを気の毒に思うのではなく、自分が他人を認めてあげないことを気の毒に思いなさいという言葉。中々周りが認めてくれない経験から見事に繋げてくれたこの言葉は、自分にとっての「残る」言葉になった。
言葉だけじゃなくて、行動でもそれは言えること。残る行動は、自分の感情に響く。ニューヨークで退役軍人がお金を求める動画は、自分にとっての「残る」行動になった
「刺す」よりも「残す」言葉を、これから意識していきたいな
自分が明日死ぬとしても、何かを「残す」存在になるために
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