見出し画像

コロナウイルスでなくても人は死ぬ?僧侶にできること(2)

前回の続き

前回のnoteでは,

・「コロナウイルスでなくても,人はいつか必ず死ぬ」という発信を今行うことは控えるべきである
・困っている,苦しい立場におかれている方々に何かお役に立てないかと動き始めている僧侶がいる
・ご法話はどちらかといえば耳の痛い話が多く,中には自己責任論に聞こえてしまうものも含まれており,内容によっては苦痛を強める危険性がある

ことをお話させていただきました。

今回の(2)では,今僧侶にできることについて,考えていること,私が実践していることを申し上げたいと思います。※(1)はこちらからお読みいただけます。

僧侶にできることは,

①まわりの人にうつさない行動を心がける
②法要を行う場合は、ウイルスが広がらない環境づくりをする


だと考えられます。

①まわりの方にうつさない行動を心がける

寺院の活動では,お話をしたり,法要後にはお斎 (仏事のときにいただく食事) をご一緒にいただいたりと,人とかかわる機会が多くあります。重症化リスクが高いといわれている高齢者の方とお会いすることも非常に多いです。また,勤行の際声を出すと,飛沫が周囲に飛散する危険が考えられます。「わたしは元気だからだいじょうぶ!」ではなく,自覚症状がなくても自分がウイルスを持っており,他者にうつす可能性が考えられることを忘れてはなりません。症状が現れにくい,若い世代の方は特に注意が必要です。手洗いやマスクは,自分のためだけでなく他の人を感染症から守ることにもつながります。

②法要を行う場合は,ウイルスが広がらない環境づくりをする

コロナウイルス感染拡大に伴い法要,行事の縮小や延期,中止が増えてきています。しかし,お通夜やご葬儀を延期することはきわめて困難であると考えられます。
どうしても法要を行う場合には,マスクを着用する,間隔をあけて座ってもらう,換気を行うなどが必須だと考えられます。仏事を含め,こうした冠婚葬祭などの式典ではマスクが失礼であるとされていますが,今はこのような状況ですので仕方ないと思います。もしかしたら,僧侶の勤行,読経もマスクしたまま行ったほうがよいのかもしれません(実際にしておられる方もいらっしゃるそうです)。もっと厳しく考えるなら,おりんを持参して会館や門信徒の方のお家のばちをさわらない,ということも必要かもしれません。

僧侶だからといって特別なことをしなくてよい

以上,よくよく考えれば当たり前のことばかりですが,別に僧侶であっても注意しなければならないことは変わらないと思います。無理に仏教的なことを言わなくても,十分感染防止に役立っているのではないでしょうか?
①の「自分の身を守ることが、周りの人の身を守ることにつながる」「自分さえよければいい,ではいけない」ということを実践したり,伝えたりするだけでも説得力があると思います。

まとめ

僧侶にできること
・まわりの方にうつさない行動を心がける
・法要を行う場合は,ウイルスが広がらない環境づくりをする
・僧侶だからといって特別なことをしなくてよい

高校時代の恩師の「プロフェッショナルとは,当たり前のことが当たり前にできる人のことである」という話が印象に残っています。それだけ「当たり前」というのは簡単なようで難しいことです。なにかとできない理由を探してやらなかったり,「簡単なことだから,やろうと思えばできる」となめてかかっていたりするのが私の姿です。私は人間としてまだまだアマチュアなのだと思います。

引き続き,手洗いを欠かさないようにして参りたいと思います。みなさまどうかご自愛ください。最後までお読みいただき,ありがとうございました。

合掌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?